サンフランシスコ地震(1989年)の

私の経験談



アメリカ西海岸 1989年 1017  

日本時間(平成元年)1018日午前94)


当時私は朝のニュース「モーニングワイド」6時台のキャスターで確か10時の定時ニュースを出せば解放という時間でした。多分この時間は、そろそろニュース原稿の下読みをしようかなと下読み席にいた。そこで遭遇したBSの放送断。時の

現地が地震らしいという情報。

今にして思えば、地震発生からどのくらい経っていたか?多分日本時間9時半にはなっていなかった!発災から十数分?いやもっと早かったか?朝班編責判断でNHKも特設ニュースを始めることに。とは言え情報は何もない!当時NHKの西海岸の取材体制は、お隣ロスアンゼルスに特派員一人と現地スタッフ。現地に向かってもかなりの時間。まだ取材は始まっていない!つまり情報も原稿もないのだ。そんな中で編責が、特設N開始を決断したのは、現地サンフランシスコのABC系列局が放送を始めたからだ。


因みにNHKはアメリカABCとは提携関係にあり、ABC系列の現地からの放送はNHKの電波に乗せることが出来る。まず衛星でこの局の放送をスルーで流し始めた!地上波も情報源としての頼りはこの放送だけ。


それまでNHKで海外の事件事故災害を報道する場合、通信社の所謂外電と現地のこのような放送を内勤記者が視聴して、例えば「AP発共同によりますと」や「現地〇〇放送によりますと」というクレジット付きで原稿を出稿して、アナウンサーが伝えるやり方であった。

しかしこの頃からNHKはじめ各テレビ局とも、ニュースの伝え方そのものに重大な変化が起きていたのです。

一口で言えば、「ストックニュースからフローニュースの時代へ」


さてサンフランシスコ地震。

手ぶらでスタジオに入った私に

できたことは何か?

現地ABC系列局のブレーキングニュースの映像を放送し、その映像にコメントを打っていく。「絵解き」しかありません。

ヘリコプターからのサンフランシスコの町の映像を見て、その映像から情報を読み取って、

コメントを打っていく

▶️この時点では現地からの情報は、ほとんど何もありません。APか何か、外電情報が細々とあったような気がしますが、地震の規模など観測データだけだったような記憶。町がどうなっているかの手がかりはヘリの送って来るエアショットだけ。最初はサンフランシスコのどこの上空なのかもわからない映像!現地リポーターの英語を必死でイヤフォンで聴いて、知ってる単語に食らいつくようにして情報収集!当初は見た目のいい加減なコメントだったに違いありません。これではいかんと、副調整室のデスクを通じて、サンフランシスコの地図をスタジオに持ち込んだのはどれくらい経ってからだったか?

とにかサンフランシスコの市街地の地図を見ながら、現地局のリポーターのコメントに合わせ、

「街の中央を通る、フリーウェイの橋が落ちています。」などのコメントを振っていきました。






放送が終わってスタジオを出ると、報道局の幹部が「君はサンフランシスコに行ったことがあるんだねか?」勿論この幹部は、私が地図を見ながら、地名を言ったり、フリーウェイのナンバーを言ったりしていたのを知る由もありません。

あまりにも地名を連発するので、てっきり

サンフランシスコに行ったことがあると思われたらしいのです。

笑顔で答えて誤魔化しましたが、今更、地図見てコメントしてました、

とは流石にいえませんでした。


実はリポーター時代ヘリコプターからのリポーターを担当。その時一番役だったのは地図だったのです!


1986(昭和618)関東地方の水害

08/04 台風10号の豪雨で関東東北各地に被害。

小貝川  那珂川が決壊し、北関東に

大きな被害が出た。

その日ヘリコプターで被害状況の取材に。

ヘリコから見えた風景ーかなり大きな町が

水浸し!

一体どこだ?ヘリの上からではどこなのか確認出来ない!

地図で確認したら、その町の「形」が茨城県の県都水戸市でした!

水戸市は市街地北方から東方へ那珂川が流れる町。

市の西方に千波湖があるはずだが、市内一面水浸しでどこが湖かわからない!

湖の北西岸に見える緑地が偕楽園だ!確認!間違いない水戸市だ。

早速NCへ水戸が水浸しと報告し、リポートするから生で取るか、V収録してくれるように要請。この時点では水戸市内水没の情報はNHKには入っておらず、ヘリコリポートのスクープ!

これだけではありません。ヘリコから地図を頼りにリポートしたことが二度三度、当たり前のことだかヘリコから見える風景は地図と同じ!


 1985(昭和60)1129日首都圏の電車が朝から止まるという事件もありました。国電同時多発ゲリラ事件です。

首都圏大阪府日本国有鉄道(国鉄)の鉄道施設に対してほぼ同時多発的に起きたゲリラ事件である。

1985年(昭和60年)1129日午前3時頃、首都圏大阪府内の計8都府県内各地にある、国鉄及び西武鉄道の計22線区の線路通信信号ケーブルが合計33カ所に渡って切断された。なお、駅間主幹ケーブルなど太いケーブルは切断されずを打ち込まれた(導体短絡し、ケーブルとしての用をなさない)個所もあった。被害を受けた路線は当日の夕方までにすべて復旧したが、首都圏で2896本、大阪地区で378本の列車が運休した。これにより通勤通学など600万人以上に影響が出た。 

日本の新左翼である中核派が起こした事件である。

  この時も私は、ヘリコからリポーターとして都内上空から取材しリポート担当。

ターミナル駅での乗客の列など、例によって東京の各地の様子を空から「見た目」でリポートしていましたが、その最中、駅から煙が上がっているのを発見。



地図で確認すると、「浅草橋」だ!

すぐさまNCに連絡してリポート「浅草橋駅から煙が上がっています!云々」この事態を最も早く伝えたのはNHKでした。