アナウンサー生活35年で
沢山の人に出会いました。
私の人生に大きな影響を
与えた方も少なくありません。
そんなおひとりに、作家の故立松和平さんがいます。
入局6年目から10年目まで在籍した、宇都宮放送局で 立松さんと出会いました。
昭和56年夏、北関東の宇都宮放送局へ異動。
この局はテレビ放送をしていない「FM局」。東京のスタジオで放送される「関東ネットワーク」という関東ローカル番組が主戦場で、週に一回放送される栃木県の話題の日に、
フィルムを東京に持ち込み、編集して放送するのが最大の仕事でした。
この宇都宮の地での最大の出会いは、当時「春雷」で野間文芸新人賞を受けたばかりの新進気鋭の作家「立松和平」さんとの出会いでした。
宇都宮局のFMローカル番組にご出演いただいていた立松さんは、収録の日、いつもエンジン音も高らかにジープで局においでいただき、丁寧な独特の語り口でトーク番組の収録をしていただきました。
収録が終わった後、
立松さんとさまざま
お話をするのが大きな楽しみでした。その含蓄溢れる語り口は、当時30になったばかりの私を猛烈に惹きつけるものでした。
以後立松さんとはずっと交流が続き、私の人生にも大きな影響を与えたのです。
ある日、立松さんはこんなことを言われました。
「男は50になったら、腹をくくってこれまでの仕事を総括し、どうしてもやらねばならぬ仕事をすべきだ。」立松さんのこの言葉は、わたしの頭にずっと残って、その後ずっと考え続けていました。
そしていよいよ、実際に50を迎えた時、立松さんの言葉が蘇りました。
実はこの頃、アナウンサーの仕事に限界を感じることが多くなっていたのです。
このままでは、キャスターの私を信じてついてきてくれている大勢のスタッフに迷惑をかけることになりはしないか?
結局、
アナウンサーの現場を離れることにしたのです。
この間のわたしの懊悩は、ここでは書ききれません。
次回のブログで詳しくお伝えします。