青山はどこだ?
昭和50年春、NHKに入局した我ら22人のNHK新人アナは、世田谷区砧の研修所で二ヶ月の泊まり込みの研修を終えて、全国各地へ散っていった。北は北海道北見から南は北九州まで、本当に「散って」行ったのだ!
僕が人事から辞令を受けたのは、室蘭放送局放送部。そもそも室蘭という街がどこにあるのかもわからない!内示を受けた後すぐに地図を広げた!ここか?北海道でも一番南だ!。確か、鉄の街だったかなあ?くらいの認識。どんなところなんだろう?不安でいっぱい!
そんな僕を見てか、「50年アナウンサー」の先生だった井川良久アナウンサーは、私のノートに、「人間至る所青山あり」の言葉。
青山は、墓場のこと。つまり、人間、死に場所は至る所にある。あなたが骨を埋める場所を見つけて、そこでがんばれ!ということだった。
しかし、初任地室蘭は本当に何もない街だった。しかも、鉄冷えと造船不況で過去の栄光はなく、下り坂の街。寂しいところだった。ここは自分の
青山ではないなあ!と。3年間何とか頑張って昭和53年東北山形へ。
山形残念その後宇都宮5年の転勤生活。入局10年でようやく東京。念願のアナウンス室へ異動。住まいは世田谷区等々力の高級住宅街のど真ん中の寮。寮とはいえ一戸建て風の小さな庭付き二階建て。狭いがいい家だったなあ。
そして5年後持ち家が欲しくて、ほぼ無理やり横須賀のマンション購入!
さらに5年後庭付き一戸建てが欲しくて鎌倉へ。高いローン覚悟で。
この間三年は単身赴任で沖縄 那覇へ。
室蘭 山形 宇都宮 東京 横須賀 鎌倉(那覇)
随分あちこち移り住んだもんだ。
7年前下の娘がなくなるという「まさか」があって、鎌倉の地にお墓を作った。気がついたらここが青山か?
癒される街は、まず那覇。そしてふるさと京都。現住地鎌倉。
青山はどこだ?