私の母は、私が9歳、

小学3年生の時に

亡くなりました

寒い冬、2月のことでした


突然死…

医師には心不全と伝えられました


朝、学校に行く時に

行って来まーすと一言、

行ってらっしゃい

それが最後のやり取りでした


1時間目、算数の授業中、

救急車のサイレンの音がしたのを

今でも覚えています


教室横の廊下の電話が鳴り

担任の先生が出て、

何やら深刻な表情…


先生から呼ばれたのは

私でした

お母さんがちょっと大変なことに

なってるみたいだから…

と言われ

先生に校庭に連れて行かれ

そこには一台の車…

乗っていたのは

6年生の私の姉…


2人は無言のまま、

どこに行くのかもわからず

下を向いていました

私は手を合わせ


お母さんが生きていますように…


とひたすら祈っていました


車が到着したのは

小さな診療所…


車を降りて中に入ると

親戚のおじさんとおばさんが…


そしてさらによく見ると

目を真っ赤に泣き腫らした

父の姿が…

怖くて、怖くて…


小さなベッドに横たわっていたのは

母でした


私は母に駆け寄って大泣き

泣きはらすまで

ひたすら泣きました


私の母はバスに乗って通勤していて

バス停に行く途中で

倒れてしまい

そのまま亡くなったそうです


1時間目の授業中に私が聞いた

救急車のサイレン

それは、母を乗せていた救急車の

サイレンだったことが

後から分かりました


駆け寄って母を救護した人が

母が亡くなる直前に

一粒の涙を流したことを

父に教えてくれたそうです


母は最後に何を考えて

涙を流したのかは

誰にも分かりません


ただ、きっと家族を残して

先に逝くことは無念だったと思います


私は、これが夢であって欲しいと

何度も願いました


悲しみの中でバタバタと

葬儀の準備が行われ、


私はリビングに横たわる母の側に

ひたすらいたのを覚えています


母のほっぺたをさわると、

驚くほど冷たくて

人は亡くなるとこんなに

冷たくなるのかと驚きました


ハンカチをストーブで温めて

母のほっぺたを温めてあげたこと

今でも忘れません


母を困らせてばかりで

後悔ばかり…


幼いながらに


お母さん、ごめんなさい

私がわがままばかり言って

困らせてばかりだから

早く死んじゃったんだよね

もっともっと

お手伝い、いっぱいすれば良かった

本当にごめんなさい


私が心の中で母に思ったことでした


毎日泣きました

思い出しては泣いて

泣き疲れては寝て…


母の死をなかなか受け入れることが

出来なくて…


突然過ぎる別れだったから

後悔ばかりだったんだと思います


あれから42年…

今では亡くなった母の年齢より

私の方が年上なっています


今、私が自分自身、心がけていること


それは…


思ったことはすぐ言葉で伝える

 

母との突然の別れを経験して

もっと伝えておけば良かったことが

沢山あり、後悔ばかりだったから…


だから、今、自分の家族には

ありがとう、ごめんね、大好き!

思ったことは

沢山伝えるようにしています


あの時と同じ後悔を

二度としたくないから…


だから皆さんも

後悔しないように

思ったらすぐに

言葉で伝えてあげて下さい


旦那さんやお子さん、


大好きな人達に…


いっぱい、いっぱい

大好きだよ、ありがとうを…


伝えてあげて欲しいです