回はシャオリンさんの質問にお答えしたいと思います。

 

>なぜ、人は、生まれ、何のために生まれてきたのか、

まず、聖書の中にこの点については以下の言葉が参考になります、「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』神はひとをご自身のかたちとして創造された。」(創世記126-27節)

 

この聖書の言葉によれば、人は神様によって生まれ、「神様に似た生き物の支配者」になるために生まれてきた存在です。

 

しかし、今人は「神様に似た生き物の支配者」ではありません。今、人は神様に似ていないからです。ここで言う「神様に似る」とは、神様と性質が同じであるという意味です。聖書には神様の性質について、以下のように記しています。「あわれみ豊かな神」(エペソ人への手紙24節)「愛と平和の神」(コリント人への手紙第二1311節)「神は真実で正しい方ですから」(ヨハネ第一の手紙19節)「神は愛だからです。」(ヨハネ第一の手紙48節)

 

まだまだ、神様について聖書はいろいろなことを語っていますが、今の人には、これらの神様の性質に反するものがあります。例えば、愛ではなく憎しみ、あわれみではなく無慈悲、平和ではなく争い、ただしことではく、偽り。これらを一言で言うと罪です。結果現在の人は神様の性質に反する罪を持っています。それは神様の設計図にはのっていないもので、人は生まれてきた目的に沿わない存在になってしまったといえます。

 

ところで、もう一度人が神様に似たものなる道が、イエス様の十字架であり、そのイエス様への信仰です。イエス様を信じると、人は新しく生まれます。(ヨハネの福音書31-8節を参照して下さい。)この生まれ変わりは、人格的なもので、この生まれ変わりを経験したものは、神様の前に正しいことをしたいという思いを持ち、それを実行するようになります。ただし、この地上での生まれ変わりは不完全で、依然として罪の性質も持った状態で、信じたものも、罪を行うことがあります。つまり完全には神様に似たものはこの地上にいる間不可能です。しかし、イエス様がこの地上にもう一度来られて、今の世が終わるとき、信じたものは「栄光のからだ」を与えられます(ピリピ人への手紙320-21節)この栄光のからだが与えられたとき人は完全に神様に似たもの変えられます。つまりその時罪はなくなります。これが、人がもう一度神様に似たものになる道です。