今回は、罪がないにもかかわらず、罪のために死なれた方、すなわちイエス様について、お話ししたいと思います。ペテロの手紙第一の2章22節に「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見出されませんでした。」とあります。これは、イエス様の弟子であるペテロの証言です。ペテロはおそらく3年数か月の間、イエス様と寝食を共にしました。通常の人であれば、3年ぐらい一緒に生活していれば、何らかの悪いところをさらけ出してしまうものですが、イエス様にはそういった点は一切ありませんでした。

 このペテロの証言だけでも、イエス様に罪はなかったという事実を知るには十分ですが、念のため、もう少し聖書の中から、イエス様の罪について検証してみたいと思います。次に27章4節を見てください。「『私は罪を犯した、罪のない人の血を売ったりして』」これは、イエス様を裏切った弟子のユダの言葉です。ユダは、イエス様を殺そうとする人たちに、イエス様を引き渡し、その対価として銀貨30枚を受け取りました。おそらくユダはイエス様の力を知っていたので、イエス様は引き渡しても、イエス様が自力でそこから逃げ出すので、特に問題はないと考えていましたが、イエス様そこから逃れようとせず、死刑にされることが決まりました。その時ユダは先ほどのように言いました。この時ユダは自分のしたことを正当化したかったはずです。正当化するためには、イエス様に罪があることが必要でした。イエス様に罪があれば、その罪のためにイエス様は死刑にされて当然だと言えるわけです。(もちろん、そうだとしても、イエス様を裏切るという行為が正当化されるわけではありませんが、人の思いとしては、イエス様は死刑にされるのが当然の悪者で、自分はその悪者を裁く者の手に引き渡したに過ぎないと思いたい状況です。)にも関わらず、ユダはイエス様に罪があったとは言えませんでした。死刑にされるような重罪だけでなく、人の目から見て小さな罪さえも見出すことができませんでした。ユダもペテロと同じく多くの時間をイエス様と共有した人です。イエス様に小さな罪でもあれば、見つけることが可能な立場にありました。でも、彼はこの時イエス様に罪があったとは言えませんでした。この事実はイエス様に罪がなかったことを私たちに教えてくれるのではないでしょうか。

 次に、マタイの福音書26章59節に「さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた」とあります。さきほど、イエス様が死刑にされる過程で行われた裁判の様子について書かれた一部です。祭司長たちとは、当時のユダヤ人の指導者でイエス様のことを嫌っていた人たちで、何とかしてイエス様を表舞台から引きずり下ろしたいと考えている人たちでした。彼らはイエス様の罪を見つけて死刑にしたいと考える人たちでしたが、イエス様から罪を見出すことができなかったので「偽証」によってイエス様を罪に定めようとしました。イエス様は当時、大変な有名人でしたから、イエス様に罪があれば、簡単に見つけられたはずです。現代でもその人が有名な人であればあるほど、いろいろな噂が流れます。特に、人の悪い部分については、非常に多くの噂が流れます。特にイエス様は「神の前における義」について多くの発言をしていましたから、それに反してイエス様が「罪」を行っていたならば、必ず「あの人は口では正しいことを言っているけれど裏ではこんな悪を行っている」という噂が必ず漏れ伝わってきたはずです。でも祭司長たちはそういった噂にふれることはありませんでした。彼らは、イエス様の弱点を何とかして探し出したいと思っている者たちなので、そんな噂が聞こえてこないかということに大いに関心があったはずです。にも関わらず、彼らにその噂は届くことはありませんでした。ですから、「偽証」に頼ることしかできませんでした。この事実はまた、「イエス様に罪がなかった」ということを示します。

 このように、聖書を色々な角度から検証してみると「イエス様には罪がなかった」ということが分かります。」しかし、イエス様は「十字架」で死にました。十字架は罪の罰であり、本来罪のない方であるイエス様には関係がないものです。にもかかわらず、イエス様は十字架で死ぬことを望まれました。イエス様は自分を捉えるためにユダが来た時に抵抗しませんでした。自分を裁く「不当な」裁判においても自分の正しさを主張することはありませんでした。イエス様はなぜ、そのようなことをなさったのでしょうか。それは「私たちの罪を贖う(償う)ため」です。

 イエス様は十字架において、私たちの罪を背負われ、私たちの身代わりに、神様から罪の裁きを受けられました。この裁きは罪を犯した私たちが受けるべきさばきでした。それを、イエス様は私たちの罪の贖い(償い)のために受けてくださいました。今私たちは、イエス様を「自分の罪を贖って下さった(償って下さった)方すなわち救い主」として信じる時に神様から罪の赦しを受けることができます。罪の贖い(償い)は「罪のない方」しかなすことができません。罪のあるものが他人の罪のために死んだとしても神様はそれを「贖い(償い)」として認めて下さいません。イエス様はこの地上で唯一「私たちの罪の贖い(償い)」ができる方であり、そのことを実行して下さいました。どうかこの「罪の贖い(償い)」をなして下さったイエス様をご自身の救い主としてお受入下さいますようお勧めいたします。