15年前の大学の卒業式の日、
私はMDウォークマンでスピッツの「桃」を繰り返し聴いていました。
つかまえたその手を 離すことはない
永遠という戯言(たわごと)に溺れて
桃、というタイトルにぴったりの、春っぽいメロディにこの歌詞。
23才の私に、“永遠という戯言に溺れて”という歌詞はとてもしっくりきていました。
✱✱✱時は経ち✱✱✱
スピッツの最新アルバム「ひみつスタジオ」に収録された「讃歌」を聴いて、私は「桃」を思い出していました。
二人だけの 小さい笑いすら
今は言える 永遠だと
“今は言える 永遠だと”
この歌詞に泣きましたね。。
“永遠という戯言に溺れて”と歌っていた人が、“今は言える 永遠だと”に至るまで。
私も15年経って、“今は言える 永遠だと”がしっくりくるようになりました。
諸行無常が身に沁みたからこそ、永遠が戯言だとわかっているからこそ、“今は言える 永遠だと”なんですよね。
歌の捉え方が変わってくるのも、長く生きる醍醐味だなあと思ったりします。