【その他】‘かわいそう’という感情について考えてみる | 今日もくま日和

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ダッフィーとアフタヌーンティーと旅行が好きな兼業主婦。
どうってことのない日常を書きつづっていきます。

超久しぶりに通勤電車で痴漢にあったNANAです、ごきげんよう



中学生のころ、国語国語の先生に「‘かわいそう’という言葉は無意識に使ってしまいますが、自分より立場の弱い人を見て優位に立ったときに抱く同情の感情でもあるので、無闇に使っていい言葉ではありません」


と教わりました


手足が不自由な画家さんを授業で学んだ時の感想文で

多くの生徒が、「身体が動かなくてかわいそう」「身体が動かないのに頑張っている」と書いたからです


これは悪気がないけど、自分で意識しないうちにその人を自分より下に見ているから出てくる言葉だそうです



夏の某番組テレビを見るとこの先生の言葉を思い出します



最近では、「地震で被災している人から比べたら自分は幸せ」「被災地の人も我慢しているんだから」とか


東京で食べ物が不足した時、スーパーで買いあさっているニュースを見て多くの人が、「被災地の人だって食べ物なくて我慢しているのに、東京の人はみっともない」と言いました


そもそも、『我慢』とか『幸せ』って誰かと比べる必要あるんですかねーはてなマーク


誰かと比べる人って自分が優越感に浸りたいだけですよね・・・きっと


それに「東京の人は・・・」という批判的な言い方をする人が結構多いですけれど

東京に居る人は、大多数が地方から来た人じゃん(笑)と、福島に実家があるのに言ってみるゲラゲラ



なんだか、まとまりのない文章になっちゃったな・・・・・・(汗)