【親子仲が良いことが
 全てでも無いのかもしれない】

昨日はお昼過ぎまで息子とポケモンGOの伝説ポケモン狩りに駆り出されていましたが。🤣


※伝説のポケモンを交換するために取らされてます。🤣



途中から別行動で
私だけ実家へ。
 

父の100日法要でした。
 

あんまり聞かない法要だなと、
思ってましたが

母曰く
「やっぱりやってもやらなくて良い法要だった」

と、後になって気づいたらしい。
今さら過ぎる…。🤣
 

予定時間になってお坊さんが来られて。

49日まではご近所の方や親しい人に気にかけてもらってやってなんとかやっていくことができると言われている期間だそうなのですが

100日になると
それも無くなってくる時期。

この時まで泣いて暮らしていたりしている親族が、亡くなった方への悲しみや未練と決別することを目的にやるそうです。
 

あー、
全く泣いてないな〜…。💦

と、聞きながら思った私。

でもそれまでの関係性が良くて、感慨深い思い出がたくさんあったり、

その人がいないと
立ち行かないような関係性であれば、

その人が亡くなってしまった時、
「もうやって行けない…。」

と、なってしまう
ご家族のケースも確かに聞きます。
 

そんな方への
区切りの法要。
 

私はこの法要に参加しながら
もし、私が死んだら息子はどう感じるんだろう?

と、ちょっと思ってしまって。
(旦那はどうでも良い🤣)

まあ、泣いていただけたら
ありがたいとは思うものの。

いつまでも長いこと泣き暮されるような関係性になっていたらいかがなものかと。

確かに息子は可愛い。

息子にはパッと見ではわからない程度ではありますが障害があって。

それでも、その障害があっただけで
「死にたい…」

と、小学1年生の子に言わしめるような
出来事が起こったのも事実。

だからこそ
息子が社会に出るまでに、

私がいつこの世から居なくなっても1人でもやって行けるように。

世の中には
こんなフォローをしてくれる所・制度がある、
どちらかで迷ったらどちらも取りに行く第三の選択肢を作ることもできる、

できない時には
それに固執しなくても他の方法がある。

そう示して育ててきたつもりだけど、
本人がどう感じてるのかはその時になってみないとわからない。

もっと重度の障害のある子の親ならもっと手をかけ、愛情をかけてその時間を紡いでいるはず。

障害が無くても手をかけ、愛情をかけ…
……過ぎじゃない?💦な関係性もある。

長い目で見た時にお母さんがいないと
何もできなくなってしまうような関係性だったら問題アリだなと。

私の息子も今や高校生。

息子の成人に向けて程よく離れて行くことも、視野に入れて物事を考えて行かないといけないな。

と、感じた100日法要でもありました。


殆どの人がやらない100日法要だからなのか?

お坊さんから洋菓子の差し入れをいただきました。