「人に流されるな!」「自分の頭で考えろ!」…。

 

 そう言われ続けてきた高校時代でした。

 

 それを私たちに、何度も何度も言い続けてきたのは担任とその盟友である教師…、ともに社会科の教員として私の至近で、隠すことなくその生き様を見せ続けていた大人です。

 

 二人は共に「俺たちは戦争の生き残りだ」と、半ば自嘲気味に語ります。

 

 生き残ったのが「こんちくしょう人生!」の始まりである、とも言っていました。

 

 いったい何が「こんちくしょう!」なのでしょうか?

 

 3年間担任であったO先生は、ことある度にこう言ってました。

 

 「あの戦争のおかげで、俺の青春は台無しだ…、こんちくしょう!」と。

 

 その盟友であるY先生も、私たちに念を押すような口調でこう言いました。

 

 「お前達は自分の人生を自分の力で生きろ! それがお前達にはできる…、悔しいが俺にはできなかった、こんちくしょう!」と。

 

 二人は「学徒出陣」によって南方の島へ出征していったと言います。生き残ったのは自分たちを含めてもたったの8人…、1割にも満たない生存率だったそうです。

 

 そして二人は共に戦後の社会で教員の道を選びました。若者を「正しく育てること」が日本の再建であると信じていたからです。

 

 ただ「正しく育てる」には、正しさの基準が必要です。それを二人は議論した…、と言います。

 

 結果、「正しく育てるには『自分の頭で考えて生きることができる人間』として育てる」といった明確なビジョンができたと言います。二人は揃って埼玉県の教員採用試験を受験し、採用されました。二人共に社会科の教員として採用されたのです。確信犯です。

 

 私がこの二人と偶然に出会ったのは、たまたま二人が「同じ高校の社会科教員」として教鞭をとっていた3年間…、この3年間にズバリ!と当てはまったことによります。

 

 私の「生き方」「考え方」の重要な部分に少なからぬ(本当は大部分で)影響を与えた、この二人の先生との出会いは、だから今から考えると、予め「オレという人間」を作るために、「オレの人生の中に組み込まれたプログラム」だったんじゃないか…、そう思えてなりません。

 

 だから彼らからの次のようなメッセージが、60を過ぎた今になっても耳から離れません。

 

 「あのクソみたいな戦争…、そのためにオレたちの人生は台無しになった。だから、いいか、お前達はそんな日本をつくっちゃいけない!」

 

 「あのクソみたいな戦争」…、これをその体験者から直接の声で聞かされながら育った世代も少なくなってきました。すでに社会の少数派なのかもしれません。

 

 それに「あのクソみたいな戦争」と内心では思っていても、それをハッキリと声にして発信することができた…、つまり戦時中の日本という社会とそれを構成する国民が、いかに異常であったのか…、について正しくそれを言葉にすることができるほどの「教養」が、当時の大半の日本人には揃っていなかったと考えることもできますから、私の属する親戚一同や地域コミュニティーにおいても、たった十数年前の戦争が「なかったこと」として処理されていたのです。

 

 だから、私の「戦争のリアルを知りたい」は、高校で出会う二人の社会科の先生によって、その埋め合わせが行われました。

 

 よって「あのクソみたいな戦争」が出発点ですから、私の歴史認識もそれにつれて「かなり左巻き」に形成されていったわけです。

 

 そんな「左巻き」の精神性を構造的に有する私が、平成以降の社会の中で「静かなる保守の台頭」を感じたとき、だから当然にそんな社会の風潮にかなりの違和感を抱いたことはご理解頂けるのではないかと思います。

 

 しかし、私とて「社会科の教員の端くれ」ですから、その違和感を信じて、それこそ左翼的活動…、または少し抑えめに言って「市民活動」に埋没することはありませんでした。

 

 たぶん「保守」にも「リベラル」にも、ある種の「限界」を感じていたのだと思います。

 

 私に「自分の頭で考えろ!」と言い続けた人物が、他にもう一人存在します。それが父親でした。

 

 「自分」しか頼ることができない戦後の極限状況の中で、父親は「自分の頭で考え」「自分の感覚でものごとや人を選び」「自分の責任で家族を養って」きました。

 

 それが成功したとは言えませんが(途中で借金を背負い、その返済に人生の後半を捧げざるを得なかった)、「自分の頭で考え、選び、生きる」といった根源的な遺伝子は、間違いなく私の細胞の中に受け継がれたようです。

 

 高校で出会った二人の先生と父親…、この三人の共通点が「自分の頭で~」という思想なのですから、当然に私は「周囲からは扱いにくい存在」に育っていくわけです。

 

 しかし「自分の頭で~」を実践していると良いこともあります。

 

 それは「学び続けなければ死んでしまう」という事実を受け止めざるをえないということです。

 

 「自分が自分のままでいるため」には、その「自分の存在が社会とどのように関わっているのか?」について、常に点検する必要があります。

 

 点検して、その時々の社会に「寄せていく」のではありません。その時々の「自分がいかに社会のスタンダードとズレているか?」…、これを確かめるのです。

 

 日々、めまぐるしい変化を伴う社会に、その変化に合わせるような受動的な生き方が、結局は、その生き方自体がストレッサーとなって、自身の元気が損なわれてしまう…、そういったことが分かってきてから、私は「自分本位」の生き方を貫いてきました。

 

 「自分本位」と「自分勝手」は、似て非なるものです。

 

 「自分本位」には、哲学を含めた「自分なりの学びの裏付け」が必要です。

 

 全方位的な「学び」の中から、「今のままの自分でいい」、つまり「自分本位」が許されることを確認しながら生きる…、これが「自分本位」です。

 

 だから「自分本位」には、絶対に「学び続ける」姿勢が不可欠です。

 

 それを怠って、かつての自分(例えば自分が一番に輝いていた頃の自分)に固執し、寄り添いすぎた状態で「自分らしく生きる」…、それは「自分勝手」な生き方です。そしてそういった「自分勝手」な生き方をする人には、結果的に人は寄りつかない…、そのようになっていると思います。

 

 「自分の頭で~」「自分本位」に生きる…、それが社会のトレンドになることはないでしょうが、そういった思考の下で「自分らしく、明るく、軽やかに」生きる…、そういった人々、特に若者の増殖を感じることができます。

 

 すると「自分と社会とのズレ」を感じながらも、そのズレを楽しむこともできる…、そんな境地に出会ったのです。

 

 「自分と社会のズレ」は、90年代~2000年代がピークであったようです。

 

 その後、少しずつ社会は変革され、令和の今となっては自分と社会との間に大きな違和感を感じることはなくなってきました。

 

 とうことは、「自分の頭で~」の時代が本格的に到来したのです。