泉谷しげる紅白初登場! | 想いつくままに「コラム?」

泉谷しげる紅白初登場!

 

  「歌で被災地に寄り添ってきた代表的な方」と言う理由で、泉谷しげるのNHK紅白歌合戦の初出場が決まった。1970年代にフォークソングは一世を風靡した。彼の代表作「季節のない街に生まれ・・・」で始まる「春夏秋冬」は、私が小学校教師として初めて担任した5年生の生徒に教えた歌でもある。その生徒も、もう49歳になっている。

 世の中を変えようと学生運動に没頭した学生たちが、公権力に勝利することなく敗北と挫折を味わい、その世の中の倦怠感がフォークソングの歌詞となった。

 井上陽水は、テレビで自殺問題が語られようとも「傘がない」と歌い、探しものはなんですかと「夢の中へ」で明日への迷いを曲にした。吉田拓郎は、私には私の生き方があると若者へのメッセージを「今日までそして明日から」に込めた。かぐや姫(南こうせつ)は、若かったあの頃は何も怖くなかったと学生運動を回想する詞を「神田川」に挿入した。

 当時大学生であった私は、陽水、拓郎、かぐや姫のコンサートに通い、彼らのLPレコードは全て購入していた。海援隊(武田鉄矢)が「母に捧げるバラード」を陽水のコンサートの前座で歌っていたことも覚えている。

 そのころから、ずっと疑問があった。「神田川」の歌詞の最後のフレーズ「ただ貴男の優しさが怖かった」という意味が理解できなかった。学生運動に疲れたのは男子学生である。敗北し絶望し目的を失った学生たちが社会に出て、なお無気力の世界にいた。神田川の歌詞は女性側からの歌に思える。「何も怖くなかった」とは何のことで、「貴男の優しさが何故怖かったのか」、どうもしっくりこなかった。

 ところが、あるテレビ番組を見ていて、この疑問が解消した。女性が銭湯の前で風呂上りにいつも待たされる歌詞が、曲全体を女性の歌に印象づけているが、これは作詞者の喜多条忠が見た光景であって、歌詞そのものは彼の学生時代の苦い体験らしい。つまり、「何も怖くなかった」とは学生運動に立ち向かう自分であり、学生運動に敗れ無気力な自分を支え続けてくれたことを「ただ『貴女』の優しさが怖かった」と告白したらしい。

 歌の歌詞の意味を味わい考えるということから言えば、AKB48の歌など聞いていて腹立たしい。ロックも私には受けつけられない。矢沢永吉がどんな素晴らしいロックシンガーと評されても、私には彼が「好きな女を抱きたい!」と言っている歌にしか聞こえない。だから、私は「プレミアムモルツ」は呑まない。