想いつくままに「コラム?」
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今年の漢字は?

 年末が来れば今年を象徴する漢字が発表されるでしょう。どんな漢字なのか興味深いですが、ふとどんな一年だったのだろうと考えてしまいます。相談室は本当に忙しい一年でした。親御さんの相談にしっかり対応できたのかどうか反省はつきません。継続は力なりと考えれば、相談室の今年を表す漢字は「継」かも知れません。

 世の中はどうだったのかと思えば、様々な出来事に明確な結果が出ない、すっきりしないことばかりの気がします。財務省の公文書書き換え、加計学園問題、貴乃花に係る相撲協会問題、体操協会のパワハラ疑惑、上げればきりがありません。どれも私たち国民は明快な結果と対応を見たわけではありません。責任者の処分を望むものではありませんが、責任者すら明らかにされていません。これはいわゆる日本的な解決なのでしょうか?

 また、「第三者員会」と言う言葉も随分登場してきました。組織内に問題が起きれば、事実と真相を解明する「第三者委員会」が設置され、いかにも公平な調査がなされたような感じを受けるものですが、組織が自ら問題に係る事実をあからさまにし解明する力量がないことを露呈しているにすぎません。三年前のいじめ問題を解明したことは評価するにしても、そのころには学校の関係者も教育員会のメーンバーも、もうそこにはいないんです。

 みんな悶々として生きているのではないでしょうか?

 今年の漢字は「悶」でどうでしょうか?

お久しぶりです! ちょっと疑問が!

ブログ更新せず、もう一年が経過しました。

毎日相談業務に追われる日々でと言い訳しておきます。

どうかご容赦を!

 

この間、気になる相談がたくさんありました。

とりわけ学校の先生方の対応に疑問を感じる相談が続いています。不登校生徒に真摯に向き合っておられる先生もたくさん知っておりますので、学校批判をするつもりはありません。ただ、個々への生徒の対応に、これでいいのか?と言う思いを持つことがたくさんあります。

 

中学校2年生のA君は5月から不登校です。はっきりした理由が見当たらず、過度なストレスがどこでどう蓄積したのか、親御さんの話からははっきりしませんでした。

でも、A君は卓球が好きなんです。不登校傾向になったころでも、放課後の部活の卓球には参加していました。6時間目が終わったころを見計らって、部活だけの登校でした。「卓球だけは行く」と言って、放課後の登校に頑張っていたわけです。

 

ところが、部活の顧問の先生から呼び出され、以下のような話をされてしまいました。

「部活と言うのは、毎日授業を受けているからこそ、参加できる資格がある。ほかの生徒は毎日頑張って授業に出ているので、君のような部活だけの参加を認めたら、不平等になってしまう。だから、どうしても部活を続けたいと言うなら、授業に参加するように努力しなさい!」

 

皆さんはこの指導の言葉ををどう受けとめられるでしょうか?

これはほんの一例で、よく似た指導はたくさん聞いています。

部活の卓球に参加しているということは、とりあえずまずは登校をしていると受け入れるべきでしょう。

その機会を利用してカウンセリングすることもできるはずです。

クラスの友達も卓球部にいるわけですから、更なる登校への促しも手立てとして考えられます。

 

どうも先生の対応が「登校するか、しないのか」の結果追及の指導のようです。

放課後の部活への参加を認めて、それをどう通常の登校へ導くのかというのが基本的な指導でしょう。

寄り添う方法があったのにと、残念でなりません。

権利や義務、平等や不平等の論理で不登校の生徒を救えるはずがないのに、先生がそういう言動を繰り返すのはなぜでしょう?

「画一的」という言葉が浮かびます。

 

隠蔽は体質?

 日馬富士引退で決着するのか?貴乃花親方の言動は、隠蔽体質にメスを入れようとした意図なのか?

 そもそも隠蔽は物事の解決処方で結果的に出てくるもので、体質ではない。学校も政治家も一流企業も、隠蔽劇を繰り広げている。それを体質と片付けるわけにはいかない。

 いじめ撲滅が学校現場で取り組まれている。いじめをなくそう!という方向である。一方、文科省はいじめは報告しなさいと全国的に調査している。陰湿ないじめが公表されないとメヂィアの攻撃は執拗である。

 だが、ここに矛盾がある。学校はいじめを報告公表すれば、いじめ撲滅に取り組めなかったことを認めたことになり、学校や教職員の力量が問われることになる。故にできれば隠したいとするのは当然の結果であろう。「なぜ。公表しなかった?」と問われれば、「できれば知られたくなかった」という答え以外は存在しない。

 いじめ問題で言えば、いじめはありうるものと認め、その早期発見と対処について事例を公表し、地域的に成果を共有し教訓化することこそが第一の方針として明確化されたら、学校も教育員会も報告公表に前向きになるはずでる。よって、いじめ問題は何よりも早期発見を課題とし、その具体的な方法を早急に確立すべきである。いじめ撲滅をスローガンにしたところで、現実的な解決はない。

 
 
 

 

何かずれているんです!

 江崎沖縄北方大臣が「国会答弁では役所の答弁書を朗読する」と発言。いろいろ弁明しているが謙虚さを批判されてお怒りらしい。自信がないなら大臣を受けなければいい。でも国会議員にとって大臣就任はステータスであるようだが、その列車に乗って本人の自覚があるかどうかは知らないが、とんでもない終着駅を迎えた人は多い。

 新潟県の高校野球部監督が、なんの事情か知らないが女子マネージャーを約4キロ走らせた。練習後に練習場から学校へ戻るときのようだ。女子マネージャーを走らせる意味が不明、なぜ用具などを積むバスに乗れなかったのか?この女子マネージャーは学校で倒れ死亡している。

 学校の部活を巡って先生の勤務軽減を実現するために今話題になっている。それは忙しすぎる先生の現実が広く理解されてきたからだろう。

 一方、私の相談室に不登校と部活を巡る問題を感じさせる相談が多々ある。

 最も多いのは、不登校故に部活の活動を制限している事実である。中学2年生のA君は不登校だが、なんとか別室登校を週に2日ペースで続けている。A君は卓球部、放課後卓球部で練習したいと望んでいるが、顧問の先生はそれを認めようとはしない。「毎日登校している生徒から見れば、部活だけに登校するA君を認めれば不平等になる」らしい。これも本当に意味不明。

 B子さんは中学1年生、6月から不登校。吹奏楽部でトランペット担当である。登校はできないが部活だけなら週に3日ぐらいは参加できる。自宅を3時ごろに出て、そのまま音楽室に入るらしい。ところが、ここでも顧問の先生が「部活より、毎日の登校が先決、だから普通に登校できた日のみ部活参加を認める」と言って、B子さんの部活参加を制限した。B子さんは今も不登校が続いている。

 ここには教師のもつ教条主義が見え隠れする。たしかに物事には原則があり、「こうしなければならない」「こうしたほうが良い」というものは存在する。しかし、A君もB子さんも不登校だが、まだ学校へ登校する動機が残っている。つまり、部活動なら登校できるわけである。なぜ先生はこの事実をよりどころにして、この現実を守り続けて二人の不登校の克服を模索しようとしないのか?意味不明発言に、職場の先生は本当に同意しているか?

 何かずれている。

 みんな守るべきものを勘違いしている。

 国会議員は自民党や国家を守るのではなく、国民の生活を守るべきである。

 学校の先生は、あるべき姿を守るのではなく、自立に向かう生徒の姿を守るべきである。

 稲田大臣が笑顔で防衛庁を去った。なぜ笑顔でいられるのか、これも意味不明。

 

本当におかしい!

 「忖度」や「便宜」を巡って国会で問題になっている。あったに違いないと感じるが、誰も認めようとはしないので不透明な事実確認と疑念だけが残る。官僚の「記憶にない」も便利な言葉だ。これは事実を否定せず、自己の認識をひとまず否定しているにすぎず、のちの弁解に役に立つ。

 稲田大臣か防衛庁幹部が嘘をついているはずなのに、彼女は二者択一では応えられないと答弁。もうわけが分からない。元ヤンキーの義家副大臣は「自分が目を通していない文書は公文書でない」と明言。ちなみにこの副大臣は「便宜」をなんども「べんせん」と呼んで答弁していた。摘菜収は「田舎へ帰れ!」と怒っている。

 誰もが議員や官僚の感覚と私たち庶民との感覚の違いに驚き歎く。管官房長官の会見には、会見の内容より国民を小ばかにしたような態度が目に付く。「怪文書」の言葉を詰められれば「言葉が一人歩きした」と騒いだ側が問題のようだ。次元の低い様相は、国家を背負い国家権力側に立ちながら、保身に走るイエスマン集団の行き着く先である。本日、不倫を報じられた今井自民党議員は、堂々と「一線を超えていない」と言った。そんなことはどうでもいい。家庭内の不倫問題での夫婦の弁解と同レベル。これが国家の現実。

 安倍首相の答弁は「丁寧」ではなく、単に「低姿勢」であったにすぎない。それでもどこかの新聞は社説でも好意的に評価している。

 これから政治的な何かが起ころうとも、日本ではもう真実が明らかになることは望めない。議員や官僚の資質と「秘密保護法」が高いハードルである。

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