大人と子どもの自己防衛! | 想いつくままに「コラム?」

大人と子どもの自己防衛!

 島倉千代子さんが亡くなり、「からたち日記」(1958年紅白出場曲)を口ずさんでいたら、TV画面に坂東英二さんが現れた。所得隠し事件の釈明会見のようだが、相変わらず歯切れが悪い。みのもんたさんも謝罪会見をしたが、二人とも涙声の訴えが共通しているが、もうひとつ共通していることがある。

 坂東さんは、ひたすら自己責任を詫びればいいものを、経理を一人に任せていてずさんだったと釈明した。カツラなのか植毛なのかはどうでもいい。みのさんは、先日の謝罪会見ではひたすら親の責任を詫びていたが、成人した子どもの犯罪の責任を親が背負うべきか問題提起をした。そんなことは、第三者がコメントすることである。

 つまり、彼らのどこかに「これ以上悪者になりたくない」という自己防衛本能が共通して働いている。坂東さんの事務所の所得隠しが坂東さんだけの問題でないことは想像できる。みのさんに子育ての責任を追及することは誰にもできないとわかっている。しかし、潔いお詫びで事の決着を臨みたいところだった。島倉千代子さんの過去の会見と、二人の愚会見はまさに対象的だ。

 二人の自己防衛に共感することはできないが、一方、不登校生徒の自己防衛的な言動は、私達や親はしっかりと受け入れなければならない。彼らは、登校や進路、学校の話になると強い拒否態度をとる。ある時は、登校を促す母親に「うるさい!」と手を出す生徒もいる。ある時は、親の言葉に対して「俺はどうなってもいい」「ほっといてくれ」と投げやり的な言動で対応してくる。

 彼らは悩み傷つきながら、「このままではいけない」「このまま行けなかったらどうなるのか?」「親や友達はこんな自分をどう思っているのか?」など気にしながら、毎日を悶々としながら過ごしている。どんなに家の中でゲームに興じていようが、テレビ漬けの日々であろうが、彼らは間違いなくそう思って過ごしている。だから、学校の話、登校の話、進路の話に及ぶと、本当は「自分の気持ちを伝えたいが、今は何も言わないで欲しい」「不登校しているけど、これからのことなど自分なりに考えているので、そんないい怪訝な自分ではない」、そう伝えたいのに伝えることができず、自分の世界に入ってこられないように自己防衛する言動を繰り返している。それが、大人からすれば不本意な言動に思えるわけである。

 私の仕事は、親御さんにこの彼らの自己防衛を理解し受け入れることが必要であることをまず伝えることである。なぜ我が子が不登校になったのかという過去の子育ての反省よりも、今の現実を受け止め、我が子に寄り添うとは日々何をすることなのか、その具体的な親御さんの明日からの行動がわかってもらえたとき、親御さんの表情は本当に変わる。そして、その日から継続的なカウンセリングがスタートする。