よく考えてみれば、親族以外の式に出るのは初めてだ。
中学、高校、大学の同期の結婚式は今までに沢山あったが、どうしても本番と重なりなかなか参加できない。
でもかなり前から今日の日程は本番がないことは知らされていたので、参加できた。
正にロングランに参加できたからこそだね。
学生時代の同期にも何人も会えた。
30歳という一つの扉を開けたからか?
人は一つ大きくなっている。
物事を捉える自身のコンパスがその角度もコンパス自体の大きさすら大きくするみたいだ。
男だもんな。
みんな自分でできることの大きさを大きくしていくんだな、となんか深く考えながら式を見ていた。
俺はどうだろう?
この仕事は特殊なものだ。
特に人付き合いは特殊で、サラリーマンのそれとは大きく違う。
それこそ普通に生きたら絶対に会うことない異業種で活躍する方と話したり、付き合いがある。
でも、なかなか自分と同じ環境で育って、生き方は違えど、同じ目線を一度は持った人の現在を知るのはすごく刺激的だ。
俺は客観的にみれば自分の芸を育てることには目を向けていたつもりだが、社会的に人間を育てることにはあまり興味を持ってこなかったみたいだ。
特にここ数年は日々の生活に追われてきた。
そろそろ整理をしなきゃいけない時期かもしれない。
具体的には分からないし書けないけど、自分の仕事の取り組み方やこれからどんな役者を目指すのか考えていかなきゃいけない。
ただ分かるのは今のままの自分自身じゃダメだし、納得いかないということ。
明日のことが分からない人生を送るなんて嫌だ。
ここにつらつらと書くことではないけど、今書きたい気持ちを抑えるのも嫌だから、あらためて数年後見返したときにいい時期を過ごしたんだと思えるように、アウトプットとして書くことは悪いことではないね。
なーんてことを、同期の「車は何を乗ってる」とか「接待ゴルフでうまくたち振舞う方法」などを聞きながら考えてしまうんだもん。
面白いでしょ?役者って(笑)
車やゴルフには本当に縁はないんだけどね(笑)
なんか数日こんな感じのブログを書いてるから勘違いされたら困るのであえて言うけど、別に思い悩んでることがあるとかではないんだよ。
生きていることは積み重ねていくことだから、経験はそれを経験だって思わなくても勝手に積み重なっていく。それはね、芝居をしてれば分かる。
別に勉強だって思わなくたって勝手にそれは血となり肉となる。ただ立っているだけなのに、見る人の心に何かを感じさせてしまうのはそういうものなんだ。
だから一つの物事の捉え方が変わることが多いのは生きてるからこそ。
いやぁ、良い式だったなぁ。
泣いてしまったよ。
とりあえず、同窓会をしたいって言うから、同窓会委員(謎の委員)の俺はセッティングせねばならん。みんなと連絡取れるかな?