カクヨムで書いている「狂った季節」の並べ替えをしました。

 

 

  1. 第1話 狂った季節
  2. 第17話 続・狂った季節
  3. 第2話 2011年の真実
  4. 第3話 感情の平板化
  5. 第4話 妄想という魔物
  6. 第5話 転落の軌跡
  7. 第10話 解離性障害(ワン)
  8. 第11話 妄想と発狂のメカニズム
  9. 第12話 パニック発作
  10. 第15話 精神疾患の治療手順(試論)
  11. 第16話 もう、私はいない
  12. 第18話 これから、どう生きるか
  13. 第20話 精神障害者の人生観
  14. 第21話 アルコール依存症
  15. 第23話 治療の果て
  16. 第24話 家族
  17. 第26話 だらだらと書く
  18. 第25話 自我の崩壊
  19. 第30話 精神科医事情
  20. 第14話 20年間の病相の変化
  21. 第19話 激動の10年を振り返る
  22. 第22話 2011年以前
  23. 第6話 2014年の出来事
  24. 第28話 東灘警察署、被害届。2014。
  25. 第7話 2015年の出来事
  26. 第8話 2016・2017年の出来事
  27. 第9話 2018年の出来事
  28. 第13話 2019年の出来事
  29. 第27話 2022年の出来事(1)
  30. 第29話 2022年の出来事(2)

私の精神科初診は、芦屋の野津クリニックだ。その時の診断名は神経衰弱。すぐに産業医である志水彰のクリニックに移ったのが、1999年。志水彰がいる阪大病院にも行った。ここではダメだと大阪医大に移ったのが、2000年。米田博教授と出会い、10年以上の付き合いになった。

 

2011年、私は寛解との診断を受け、会社をやめた。それからが事件の連続だった。

 

2011年7月、母の陰謀で湊川病院に入院。主治医は山口道彦になった。障害年金、障害者手帳取得。これではダメだと、東灘区のクリニックに移ったのが、2013年だ。佐々木医院に行った。いきなり、あなたは精神病ではないと言われてぶったまげた。薬の作用機序を聞いても、そんな難しいことは分かりませんで終わり。2014年には、最悪の躁転をして宝塚三田病院に4ケ月入院。退院後も佐々木医院に行ったが、「追い詰められたら、どんな仕事でもできるでしょ」と言われたので、見切って転院した。

 

次に行ったのが、灘区の村上医院。生活保護が良いと言われた。お金がないなら、一日家で瞑想しろと言われた。名言は「医者でも一日1万円は使わない」。驚いた。ミスター・ストイックと呼ぶことにした。ここでも、どうしようもなく躁転し、転院。

 

東灘区の服部晴起先生のところに行くことにした。数年前に「まさか貯金が100万円もないんじゃないでしょうね」「いったい、いつクビになったんですか」などと失礼な発言のあった医者だが、他に選択肢が無かった。診察時間の長い熱心な先生だった。しかし、またも躁転して転院。

 

そして行ったのが、橋村匠医師の橋村メンタルクリニック。最初は抗うつ剤を出す勇気あるドクターだと思ったが、眠剤の選択で

話にならないことを言うので転院を決意した。

 

次に行く病院は決まっているが、秘密だ。まあ、精神科医なんて、そんなもんですよ。言いなりになってはいけない。

 

ジャンジャン。

高校時代、いつも黄色いスカートを履いている女性がいた。洋子さんだ。黄色いスカートしか持っていない訳がない。そこは芦屋だ、きっと、黄色いスカートをたくさん持っていたのだ。今年は高校の同窓会、あしかび会に行く予定だ。そして、アサヒビールのOB会も、あれば行く。旭友会と言い、通常、全国4ケ所で開催される。関西は、リーガロイヤル大阪だ。秋のイベント。頑張ろう。

 

大学時代、相模原にある葉子の店に通っていた。将棋に依田さんや、川嶋さんがいた。酒とカラオケ。私は遊び人だったのだろうか。

 

会社員時代。単身赴任時代。エレガンス24や、10イヤーズに通っていた、大ママの要子さんにやられたのだ。

 

「今度、ご飯行こう」

「私には、妻も、子供もいるし」

「そんなん、考えたら負けや」

 

なに、考えたら負け。この言葉が頭から離れなくなった。結局、同伴した。最初はエスニック。焼肉、ステーキハウス、中華、しゃぶしゃぶなど、同伴の常連になった。楽しかった。心の愛人だった。

 

そんなママさんも、2009年に引退された。それからも、映画を見に行くなど、交際は続いた。

 

もちろん、肉体関係もなければ、キスもしていない。変なのだろうか。

 

洋子、葉子、要子。よーこさんには縁がある。要子さん。激しく会いたい。