闇と明の修行
闇の「動」の修行を実践する事にした=灯りを持たず夜道をひたすら
歩く。
なぜ、「動」なのか?=動いていれば気がまぎれ、怖さも半減する。
又、怖ければ走る事もできる、でも、走る事は行を放棄する事にな
る、どんな事があってもやってはいけない。
その当時の私の住んでいた処は、田舎で民家と言ってもほとんど無
く、家と家の間の距離は百メートル以上も離れていて、
ほとんど明かりも見えないのが現状だった。
そんな田舎で、始めは民家の明かりや、月明かりがある夜道を歩行し
徐々に民家の無い処や、神社、寺、墓地、山の中、時間を決めて行な
い怖さを慣らしていくのです。
闇と明の修行
闇と明の修行、
闇の行=には動と静とに分かれる
明の行=とは明るい所でのさまざまな行
私は、幼い頃より23歳の師匠との出会いの時まで、
夜が人一倍怖かった。
幼い時は、夜に成ると、たとえ家の中でも一人で居ることが
出来なくて、母や姉の傍に付きまとわっていた。
幼い時から私は、普通の人には見えない霊体が見えて、
その霊体におびえていたのです。
23歳の時に引き寄せられたかの様に師匠との出会い、
それからの私は師匠の手足と成って、色々な行を実践した。
師匠に教を貰うだけでは物足らず、元々祖父から受け継いだものを
開花させる為の修行も、怠らなかった。