お山 | あきらのブログ 一期一会 

 












比叡山

世の中に山てふ山は多かれど 山とは比叡の御山をぞいふ

慈鎮和尚


そういえば、『お山』に登りました。高野山は、2年振りに登拝させて頂きましたが、お山は、稲荷山ではなく、比叡山です。

 

5月18日、19日と、比叡の大護摩がありました。ユーチューブでも、動画があります。僕は、ただの落ち零れ信者であり、比叡山は、本当に、12年前なら、歩いて登っていました。

 

でも、僕のような貧乏人は、根本中堂の散策にした方が良かったと思います。やはり、比叡山の本堂であり、大切な場所です。聖域は、浄土院という伝教大師最澄様の眠る地が、比叡山では一番の聖域のようです。

 

医療機関なら、経験を積んだ医師のような薬師瑠璃光如来様。僕は、心の病で、悩んでいたのだから、根本中堂の薬師瑠璃光如来様に手を合わせることが、大切と思います。

 

神様と一緒で、仏様にも、得意分野があって、薬師瑠璃光如来様だと最近、思っています。神様なら、僕は、八坂神社かも知れないです。某相談員が、清明神社に通っていると言うと、八坂さんがいいよと言われました。参考程度に留めておきます。

 

葵祭は、不定愁訴で、断念したが、比叡山のような半日かかる場所は行けるのは、不思議です。高野山は、今は、薬を、去年の夏ぐらいに変更しており、以前の薬と違い、遠い距離は、この薬の調合で、行ったのは、初めてでした。メタボじゃなかったら、セロクエルは、本当にいい薬でした。僕には相性がいいと思います。リフレックスは、セルシンとか飲んでいるのが相互で関係しているのか。遠くにいく不安感は、払拭する力がセロクエルより、落ちるのが、僕の個人の見解です。でも、セロクエルも25㎎の半分量の12.5㎎は、処方してもらっています。

 

弾丸登山は、高野山も比叡山も同じです。不定愁訴とうつ病が混合で出ているときには、とても、行ける距離ではないです。

 

困ったときは、近くの菩提寺です。気軽に行けるお寺は、地元ではないです。神童子も、令和2年から、訪れてないです。

 

祖母は、無学で、字も、まともに書けない人でしたが、ただ一つ言えることは、『拝む』ということに関しては、稲穂が垂れるように、一筋に、僕が、学校行くときに拝んでおられた。それと、仕事は、50歳迄、男の人並に働いていました。祖父は、心臓の一級障害者であり、一家の大黒柱は、祖母でした。

 

それがあり、父は、中学は次席で卒業していて、高卒で、法政二部も中退しているけど、村では、認められて、部長級までついています。

 

合併してからは、窓際部長で、哀れなほどでした。合併する迄は、部長級では、一番、高い村民部長でした。

 

父が、成りたかった職業は、警察官。取得したかった資格は、司法書士。中学は、剣道部の主将をしていたが、段は持っていません。甥は、初段もっているが、昇段試験とは型であり、誰かと対戦するものではないみたいです。弟は、二段持っているが、知りませんでした。

 

父や祖母の記憶を思い出すことが、菩提寺がしっかりしない僕にとっての供養だと思っています。菩提寺は、大切だけど、母の信心強固なSの信仰心を止めることは、信仰の自由を奪っていることです。僕は、Sを辞めて、日常生活を穏便に送れない厳しい試練があり、これも、生まれる前に、選んだ道だと思います。

 

僕は、危宿で、遊びの星です。本当に、遊ばれても、日々、壮絶な鍛錬で、せめての救いは、漫画や、本が一番救われていると思います。他なら、映画鑑賞だと思います。食事は、外食で贅沢するのは、なんとなく、気分が乗らないので、行きつけは、丸亀製麺です。やっぱ、ざるです。忘れることは大切です。

 


















#無緣

#S


#3

#カイジ