文殊菩薩の化身 | あきらのブログ 一期一会 








 

 

 

そういえば、行基さんのお参りを靈山寺、岩船寺、喜光寺と3つの御寺を訪れました。特色が全て違うお寺でしたが、靈山寺には、元気を貰うイメージが強く、岩船寺は、心を静かに、佇む三重塔に、思わず、祈りを捧げていました。喜光寺は、熊本地震以来ですから、実に、8年振りでした。喜光寺は、蓮が有名な御寺のようですが、咲いている姿は、見た記憶がないです。

 

蓮は、泥から綺麗な華を咲かせて、不思議な力を感じます。喜光寺には、着くと、15時すぎで、すぐに、いろは写経を書きました。

 

写経は、基本、般若心経を書写するのが一般的ですが、ここの御寺は、いろは歌を写経にされており、般若心経の写経とは、違う味わいがあり、いい写経体験でした。

 

こんな、しっかりした道場を構えて、写経が書けるのは、多くの庶民から上級国民の思いが心の姿になって、そういう伽藍ができるのだろうと思います。

 

写経を終えると、お茶の接待もあり、庭の庭園も観ました。高野山に令和元年に行き、ここに行こうと足かせ5年かかりました。

 

緣というものは、偶然のようで、必然と思います。緣は、僕は、本当の意味で、大事にするのは、ここ最近です。多くの大事な緣を疎かにしていたことに気づく時も、今あります。

 

その場にいる緣は、偶然ではない。何か、互いに必要で会っていると思います。靈域で会う緣もあれば、電車で隣同士になる緣。色々ありますが、何か、深い因縁があるのだろうと常に感じる年になりました。

 

47歳。僕は、もう、若くはないです。祖母の頃なら、50歳で定年です。高齢の母が、炊事洗濯などをしている姿を、20年も30年もやっている想像は、出来ないです。老老介護になり、これ程、福祉サービスを利用できない状態で、お先真っ暗ですが、行基さんは、福祉を大切にされた僧であり、日本で一番最初に、『大僧正』を授与された僧です。

 

僕も、最初働いた会社は、土建屋(軌道工事)でしたが、厚生年金をかけてくれていました。病気退職したが、その後、警備員を長くして、国民年金でした。本当に、今、月に7万円もない障害基礎年金で生活しています。医療費も、通院している精神科以外は、全て3割負担です。医療費は、コロナの時に莫大にかかり、びっくりでした。他にも、ピロリ菌除菌後の医療費も、高額でした。今は、歯医者にお金がかかり、月7万円に満たない障害基礎年金で、国民年金ではなく、厚生年金の人は、倍近い保障があるのだろうと思います。

 

生産性のない僕は、自分で仕事を一生懸命に探すと、時給50円で、笑いを通りこして、自分の価値に、泣けてきました。それが、現実です。それも、1ヶ月ぐらいしか耐えられなく、辞めました。

 

今は無職。2002年7月からは、ほぼ、生きている年数が無職。もう22年も経ち、僕も今年、48歳ですが、病気になり、雇用主が、僕を必要としないから、仕事はないです。

 

仕事でも、自分に合った仕事を探さないといけないので、出来る仕事は、能力ないのに限られ、復職できない現実があります。

 





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#三千円の使いかた