はじめまして!
京都生まれ、滋賀育ち、気持ちは大阪。
どうも、工学部理工化学科1回生の三浦文子(みうらあやこ)と申します!
京大水泳部水球面のマネージャーとして入部いたしました。


出身校は京都女子中高です。京大前のあの東大路通りをびゃーびゃーと南にまっすぐ行って、ここだと思ったところがそこです(?)。
中高6年間お笑いが好きで、大阪のコテコテ漫才師に憧れ続けたら、私の関西弁もコテコテになっていました。嬉しいです。
ただ、女子校という世界を出た瞬間、コテコテは損でした。え?かわいげ?いらんやろそんなんどっか捨てたで。


冗談はさておき、なぜ水球のマネになったかといいますと、実は中学生の時、水球部でプレイヤーをしてまして、その経験が大きく関わっています。濃厚で切ない当時を勝手ながら簡単に振り返らせて下さい。

中1・・・入部1か月にして黒歴史爆誕。真面目キャラからの引退を余儀なくされる。わけのわからぬまま試合に放り込まれ、泳力0で溺れていたために抜かれまくり、焦って上から乗っかって退水連発。そのせいで相手に逆転を許し、申し訳なさ過ぎて号泣。
中2・・・入部から1年、バッタモンのフローターとなる。また、部員で一番ボールの扱いが下手だった(手が小さくてつかめなかったのが主因)が、真面目さが買われたのか部長に就任。
中3・・・コロナが流行して3か月間プールに入れなかったことでタイムが激落ち。絶望を迎える。試合も全て中止となり、ぬるっと引退。


こんな感じです。もうこんなしんどい競技はやりたくないと思い、高校では続けませんでした。しかし、振り返ればなんとなく未練たらたらだったことが分かり、大学生になったらまた水球に携わりたいと考えるようになりました。なので受験期は、学問に対するモチベもありましたが、「京大に受かって水球のマネするねん!!」というモチベもありました。無事マネージャー募集があって、無事入部出来て、個性豊かな同期や先輩方に恵まれて、今は毎日本当に幸せです。


ただ、ちょろっと水球経験があるとは言ったものの、大学の水球に携わって初めて、自分が当時水球のSの字も知らずにプレーしていたことが分かりました。説明を聞くたびに知らないルールや用語ばかりが出て来て顔面蒼白になり、しっかりと初心に戻らされました。

もちろん笛も全然吹けなくて、ミスだらけで、ほんまに、ああ、もう、メンタルがあああ、あかん、です(語彙力付けよか)。

今はビビッてケンタッキー状態ですが、いち早く選手の信頼を得て、先輩や同期のような敏腕マネージャーとなるべく、全力で頑張ります!


めっちゃ長くなった。すみません。たぶん私これ一生ブログ書けますわ。喋りたいことがまだまだ多すぎる。

(ここでまた、「喋りたいことが多すぎる」エピソードも出そうとしてまう。せやから長なるんやんな。女子校出身オバチャンの悪い所。反省。)

いやこれね、最初の下書きの段階では2000字超えていたんです。これでも削りに削ったんです。なんせ「文」子、ですから、文章を書くのが好きなんです。また書かせて下さい。


これからもよろしくお願いします!


P.S.

自転車を購入して1か月。いまだに週2、3のペースで、草むらに突っ込んだり、穴にはまったり、ポールに激突したりと、色々事故るんですけどどうすればいいですか。

それと、ただいま、マネーと恋愛の兆しが不足しております。このなっがいブログを最後まで見て下さったどなたか、充足、よろしくお願いいたします。
(まあもうほぼ諦めの境地ですな恋愛は。あはは。)