いつもお読みいただきありがとうございます
今回は昔の不倫をテーマにお話ししたいと思います
(この人怖すぎ・・・(笑))
1990年代、「不倫は文化」と発言した芸能人がいましたね(笑)
不倫(不貞行為)は法的には相手の配偶者に慰謝料を払う義務が生じる違法行為なのはもうご存じですよね?
昔の日本でもこの考え方は今と同じで、厳しい処罰が課せられていました
現在、不倫(不貞行為)や浮気と呼ばれている行為は江戸時代、「不義密通」と呼ばれていました。
江戸幕府の法律では「密通いたし候妻、死罪」、また「密通の男(不倫相手)も死刑」とされていました。
さらにスゴいのは、浮気された夫は、妻とその相手を殺しても「構い無し(罪を問わない)」と、私刑(リンチ)を許されていました
江戸時代の世間の噂や情報を書きとめた『よしの冊子』からエピソードを紹介します。
江戸の小石川近くに住むある御家人は昨年結婚しましたが、やがて妻が独身の頃からつきあっていた男が自宅に密かに出入りするようになったので、御家人は妻を実家へ帰しました。
その後、離婚の準備をすすめている最中、御家人が妻の実家へ行くと、なんと例の元カレが「妻と戯レ居候(いちゃついているではないか)」。
これに激高した御家人は、即座に妻を抜き打ちにして殺害。
すると、元カレはその場から逃走しました。
騒ぎに気づいた妻の父が現場を見て叫び声を上げたので、御家人は義父までも斬り殺してしまいます。
この噂を知った為長は、父親まで殺したことに対し、「是はお仕置むづかりかろうふ(これは、どう御家人を裁くか難しいだろう)」と感想を漏らしています。
これから推察するとこの御家人は罪に問われることになるのでしょう。
妻にとって不倫はまさに命がけだったはずですから、殺された妻と元カレはきっと心から愛しあっていたのでしょう
それでもふたりは結婚できませんでした。
基本的に恋愛結婚はできない時代だったからです。
男性も女性も、親や縁者が決めた家格の釣り合う相手と結婚せざるを得なかったのです
しかし、障害があるほど燃え上がるのが恋心
それは今も昔も変わりません。
どうしても一緒になりたい場合は、相対死(心中)を選ぶことも少なくありませんでした
とくに近松門左衛門の『曽根崎心中』が1703年に上演されてから、あちこちで心中事件が続発するようになり、困った幕府はついに1722年に心中物の上演を禁止するまでになったほどです
とはいえ、相対死も、罪であることに変わりはありません。
一方が生き残った場合は死刑。二人とも生き残った場合は、晒し刑に処せられたあと、士農工商から外れる身分に落とされる決まりになっていたのです。
こうした上演禁止令が出た後も心中は後を絶ちません。
とくに大坂や梅田では、あまりに心中する男女が多いので、夜中に番人を置かなくてはならないほどでした。
毎晩、数組のカップルがあやしい動きをするので、番人はそれを追い払うのが仕事になり、「心中追払ひ番」と名付けられるようになったといいます。
江戸時代も妻の不倫は外聞が良くありませんでした。
そこで、ことを表沙汰にすることを避けて相手から慰謝料と詫び状をとって示談にするのが一般的でした。
江戸ではそれを「首代」といって7両2分(現在の50万円程度)を支払うのが慣例でした。
詫び状には、相手に対する謝罪と表沙汰にしなかったことへの感謝、慰謝料の額、2度と相手と会わないという誓約が明記され、「もし違反したら表沙汰にしてかまわない」と明記されました。
もちろん表沙汰になれば、不義をおこなった男女は、法にしたがって処刑されることになります。
だから慰謝料も首を斬られる代金、つまり「首代」と呼ぶのでしょう。
調べていて思ったんですが、江戸時代の男尊女卑感半端ないk
結婚してる男が浮気したらどうやねんっ!?
っていうのが正直な感想です(笑)
古今東西、不倫や浮気は人類最大の課題ですね
最後までお読みいただきありがとうございました~m(__)m