古事記奇譚その9 ~ 謎を解くキーマン ~ | KANSAI SANPO

KANSAI SANPO

~最悪の男が歩く関西の最良~
  +伊勢神宮125社巡り

彦火明命を祀る籠神社(京都府宮津市)

 

 

 

「古事記奇譚」と称して書き綴ったブログ。

 

少々お遊び気味に神話を読み下していて、あらためて気づいた謎。

 

1.なぜ高天原の神の降臨が出雲ではなく、筑紫だったのか

2.なぜ降臨した「天孫」は次男坊だったのか

3.なぜ神武天皇は筑紫ではなく、大和で即位したのか

 

 

この謎が解けたとしても、日本古代史の見解に一石を投じる話題ではありません。

 

「それがどうした?神話だろ」「神話は所詮フィクションだ」

 

とは言え、謎は謎として気になるのです。

 

この謎を解く「キーマン」となるのが邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)。

 

天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国に降臨したとされる高天原の神。

 

古事記ではニニギノミコトの「後を追って降臨した」と書かれていますが

 

日本書紀ではどちらが先かとは明記されていません。

 

だいたいニギハヤヒノミコトがニニギノミコトと同時期に降臨したとすれば、

 

神武の東征の時代に大和にいること自体がおかしなことになります。

 

日本書紀によれば神武天皇の大和での即位はBC660年。

 

邇邇芸命の「天孫降臨」は約180万年前のことだからです。

 

しかしニギハヤヒノミコトはニニギノミコトと、なんだか名前が似てねぇか?

 

一見低レベルな疑問のようですが、あながち的外れとは言い切れません。

 

と、言うのもニギハヤヒの別名を見ればわかります。

 

 

・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)

 

・天火明命(あまのほのあかりのみこと) など。

 

 

この別名「天火明」とは、アメノオシホミミの御子神です。

 

つまりニニギノミコトの兄なのです。

 

なんとなく、上記の謎「2」と「3」の答えが見えてきそうな感じ。

 

「天孫」の長男が河内・大和に降臨、次男が筑紫に。

 

そして「神武の東征」はニギハヤヒの存在が大きかったのではないか。

 

そんな気がしてきました。

 

 

 

矢田坐久志玉比古神社

 

 


上の写真は奈良県大和郡山市にある、

 

矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)の楼門。

 

プロペラが掲げられているのが気になると思いますが、

 

この話題については別の機会の話題にしたいと思います。

 

この神社の御祭神は久志玉比古神(櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと)。

 

別名、矢落神社(やおちじんじゃ)とも。

 

天磐船から櫛玉饒速日命が射た「二ノ矢」が落ちた場所にちなんだ名称とのこと。

 

矢が落ちた場所を宮居にしたと伝えられています。

 

付近には一ノ矢、三ノ矢が落ちた伝承地もあるそうです。

 

この辺りが「矢田」と呼ばれるのは、矢が落ちた場所だからだそうです。

 

この神社の御由緒に、興味深いことが書かれてありました。

 

 

櫛玉饒速日命は、「天照坐皇大神」の詔(みことのり)により

弟神「邇邇芸命(ニニギノミコト)」の「天孫降臨」に先立ち、

(中略)天磐船で天下られました。

 

 

なんとなく謎の回答が見えてきそうな気がしてきました。

 

「誰が興味あるんだ?」って話なのですが。

 

私にとってはひじょーに興味深い話で

 

長年の謎の答えも見つかりそうで、ちょっと興奮しています。

 

その長年の「謎」というのは

 

関西にだけあると思われる、特徴ある名称を持つ神社の存在です。

 

〇〇坐天照御魂神社(〇〇は鎮座地の地名)という神社。

 

 

鏡作坐天照御魂神社(奈良県田原本町)

新屋坐天照御魂神社(大阪府茨木市・三座)

木嶋坐天照御魂神社(京都市・蚕ノ社) etc

 

 

 

 

 

 

これらの神社について、関心がなければスルーしてください。

 

私の個人的で偏執的なこだわりだろうと思いますので。

 

ただ、矢田坐久志玉比古神社や周辺の神社については

 

興味深い点があるので、またの機会に深掘りしてみたいと思います。

 

 

 

【参考】龍水御朱印帳(私の別ブログ・神社参拝記録)

新屋坐天照御魂神社(その1 西河原)

新屋坐天照御魂神社(その2 福井)

新屋坐天照御魂神社(その3 宿久庄)

鏡作坐天照御魂神社