臣下に弑逆された天皇を祀る神社 ~ 堀越神社 ~ その3 | KANSAI SANPO

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法隆寺

 

 

 

 

さて、藤ノ木古墳について。

藤ノ木古墳の被葬者は、相当身分の高い貴人であったことが指摘されています。

家型石棺、冠や馬具などの副葬品。

どれを取っても大王クラスの被葬者と言ってよいでしょう。

もうお気づきだと思いますが、話の流れから言っても

藤ノ木古墳の被葬者は「崇峻天皇ではないか」と言いたいわけですが、少し待ってください。

石棺の中にあった遺体は、成人男性と思われるものが2体あったそうです。

これが同時に亡くなった遺体だとすれば、日本書紀の記述から

穴穂部皇子と宅部皇子の可能性もあります。

古代史研究でも知られる作家、故・黒岩重吾氏もその説をとるお一人でした。

しかし、法隆寺に「ミササギ」の伝承があること、

そして四天王寺と堀越神社との位置関係から想像すれば

やはり藤ノ木古墳の被葬者の一人は崇峻天皇の可能性も捨てられません。

四天王寺と堀越神社、法隆寺と藤ノ木古墳の位置関係の類似は

私の思いつきだと説得力がないかも知れませんが、

このことを指摘されていたのは古墳研究で知られる故・森浩一氏です。

 

 

 

 

藤ノ木古墳

 

 

 

法隆寺には、藤ノ木古墳に関する何らかの伝承が残っているのかも知れません。

もし法隆寺が、藤ノ木古墳の陵戸的な役割も担っていたとしたら

あれだけの古墳が未盗掘のままだったこともうなづけるのです。

 

法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮める寺であるという説があります。

いったいどっちなのかと、混乱するかも知れませんね。

整理します。

藤ノ木古墳の被葬者の御霊鎮めをしていたとしたら、それは太子が建てた若草伽藍。

聖徳太子の御霊鎮めをしている寺は、再建された法隆寺ということになるのでしょうか。

※梅原猛著「隠された十字架」

私は「法隆寺は厩戸皇子鎮魂の寺説」に少し疑問を持っています。

厩戸皇子(聖徳太子)の死には謎もあるのですが、

斑鳩宮とともに一族が滅ぼされたのはその子の山背大兄皇子です。

そういった法隆寺の謎については、別の機会に考えたいと思います。


さて、藤ノ木古墳の被葬者の一人が崇峻天皇だったとして、

もう一人の被葬者は誰なのでしょうか?

私の個人的な想像では、あの埋葬状況から見ると

やはり崇峻天皇の兄、穴穂部皇子ではないかと思います。

穴穂部皇子については、一昨日の記事に書いた通りの人物。

ひとつの石棺に「押し込められた」二つの遺体。

副葬品のひとつ、大王級の金銅製冠は意図的に踏みつぶされていたとか。

なんとなく、被葬者の人物像が想像されるような気がします。

誄(しのびごと)のあとに、捨てぜりふが付いていたかも知れません。



「あんたらは天皇(大王)だ。ただしあの世のな」



穴穂部皇子が葬られた古墳に、崇峻天皇も同じ棺に葬られたのかも。

 

私の古い古代史仲間のSさんは

藤ノ木古墳の被葬者は「筑紫君・薩夜麻(さちやま)」だと言っていました。

非常に興味深い説ですが、藤ノ木古墳の築造年代と薩夜麻の時代とは

100年近い開きがあるように思えます。

 

 

 

 

 


 

さてさて、法隆寺に残るもうひとつの「陵」に関する話題。

昭和資材帳調査で、法隆寺からは数多くの発見がありました。

御本尊の台座の裏から見つかった「落書き」もそのひとつ。

書かれていたのは


「相見了陵面未識心陵了時者」


私は読み下すことが出来ませんが、どうやら漢文としては不可解な文章なのだそうです。

注目は「陵」という文字。


「死者の霊を鎮めるには、陵と相見(あいまみ)えなさい」

と解釈する論者もいます。

これはまさしく、藤ノ木古墳のことを指していると思われますね。

しかしなぜそんなことが、誰の目にも触れない場所に書かれていたのか?

「陵」という文字を「ミササギ」ではなく、「さらす」という動詞と解釈した論者もいます。

「相まみえて おもてをさらすも 未だ心をさらし了(お)える者を識らず」

私の勝手な想像で意訳すると

「毎日毎日 仏さまと顔を合わせてお経をあげてるけど

心を仏の前に堂々とさらせるほど立派なヤツ(僧)なんておれへんわ」


なんだか、落書きとしてはこちらの方がふさわしいような・・・。

僧侶たちからいろいろ注文をつけられる仏師(または大工)の愚痴なのかも。

「ふん。エラそうにしやがって!僧侶のくせに慈悲の心も思いやりもない連中ばかりやんけ」

なんだか、そんな声が聞こえるようなのですが・・・。

しかし「陵」という文字を使って前述の「ミササギ」の意味にも取れるような文章だとしたら

正式な漢文として成立しない理由もわかるような気がします。

万が一僧に見つかっても、

「『ミササギに参拝しよう』という気持ちを書いたものです」と、言い訳ができる。

もしそうなら、一級品のウイットに富んだ落書きですね。


しかし「死者の霊を鎮めるには、陵と相見(あいまみ)えなさい」という解釈も

法隆寺の秘密をこっそりと目立たない場所に書いたと言えるかも知れません。

四天王寺や法隆寺に参詣の際は、こういったことにも思いを馳せて

堀越神社や藤ノ木古墳にもぜひ足を伸ばしてみてください。

3回に渡って長々と書いてまいりましたが、

最後までお読みいただいてありがとうございました。

 

まぁ、誰が興味あるんだ?って話ですが。