古事記奇譚 その1 | KANSAI SANPO

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古事記に書かれている神話。

 

神話に書かれてある「物語」は、「根も葉もある作り話」とは言われていますが

 

古代史ファンでも神話から史実を探ろうとする人は…いないかも。

 

たとえば「国譲り神話」から「天孫降臨」のあたり。

 

高天原の天照大神が葦原中国(アシハラナカツコク・出雲あるいは日本)は

 

「我が子アメノオシホミミが統べる国だ」と言って

 

大国主命が造った葦原中国を「譲り受ける」神話です。

 

高天原側から見た話としては「美談」かも知れませんが、そんなアホな話はあり得ません。

 

大国主命が治めた国を、「高天原」が侵略した話。

 

それは容易に想像出来るのですが、

 

「それはいつのことか?」と問われるとわからないのです。

 

諸般の事情により、葦原中国に降臨するのは天照大神の御子ではなく

 

ニニギノミコトという孫。

 

だから「天孫降臨」なのですね。

 

 

 

 

 

 

 

出雲にある「西谷墳墓群」は、「四隅突出型墳丘墓」で有名です。

 

これらが大国主命を含む「王家の墓」だとすれば、2世紀後半~3世紀のこと。

 

日本書紀にはその時代、「出雲征服」の記述はありません。

 

ややこしいので、日本書紀の記述は横に置いといて

 

古事記の「デフォルメされた」記述から歴史を探ってみたいと思います。

 

 

 

「国譲り神話」と「天孫降臨」とは

 

1.天照大神が葦原中国は天照大神の御子が統べるべき国と宣言

 

2.タケミカヅチが遣わされ、葦原中国を平定(大国主命が「国譲り」に同意)

 

3.ニニギノミコトが天下り、葦原中国を治める

 

4.ニニギノミコトの子孫が、初代・神武天皇となる

 

 

大国主命と高天原との熾烈な争いがあったことは想像出来ますが

 

神話では「国譲り」として美化された話になっています。

 

現代語訳のこの部分はその「美化」された話だけが知られていますが、

 

古事記を深掘りすれば、そんな単純な話ではなかったことが伺えます。

 

 

1.葦原中国の征服は何度も失敗していた

2.なぜ「天孫(=まご)」の降臨なのか

3.ニニギノミコトは「長男」ではなかったという謎

 

 

 

こんな話に「誰が興味あるんだ?」とは思うのですが、

 

次回以降、「国譲り」「天孫降臨」について深掘りしてみようと思います。