多岐原神社(皇大神宮・摂社)
およそ10年ぶりに多岐原神社に参拝。
2023年7月に造替・遷座のため、木の香りが漂ってきそうな社殿。
ここには珍しく石灯籠と賽銭箱があります。
石灯籠(常夜灯)は地元の方の寄進でしょうか。
対のものではなく、左右の形が若干異なっています。
入口付近に建てられた「禁殺生石」は紀州藩によるもの。
2014年の125社巡りの際は、この禁殺生石が神社を見つける目印になりました。
しかしこの禁殺生石は伊勢神宮125社に限らず、
紀州藩が特別に保護した寺社の域内を示すもののようです。
多岐原神社の御祭神は、真奈胡神(まなこのかみ)。
倭姫命が宮川を渡るのを助けた神様です。
その時の逸話と瀧原宮と多岐原神社創建の御由緒を描いたイラストが
瀧原宮の入口にあります。
その「縮小版」が多岐原神社の近くにもありました。
真奈胡神の助けによって倭姫命が宮川を渡ったとされる場所が
多岐原神社の近くにある「三瀬の渡し跡」です。
多岐原神社から三瀬の渡しに下りる径は生い茂った雑草や堆積していた枯草が取り除かれ
以前より歩きやすい道になっていると、最初は思いました。
しかし宮川方面に降りるに従い、道は雨水などで浸食されており
河原近くは崩れそうな急坂になっていました。
その部分の写真がないのは、怖くて写真を撮る余裕がなかったためです。
同行していた妻は膝に爆弾を抱えているため、河原に降りるのを断念。
竹藪の間からエメラルドグリーンの川面を撮影していました。
私も当日(2024/3/17)は体調がイマイチで、ヘロヘロでしたが頑張りました。
10歩ほど歩いて1分休むというなさけない状態でしたが、
ここまで来て「三瀬の渡し」の写真を撮らずに帰るわけには行きませんでしたから。
一銭にもならないことはわかっていましたが、歴20年のブロガーの悲しいサガです。
対岸に見える幟がある辺りが「三瀬の渡し」です。
白と青の幟の左手に見える坂は、江戸時代以降の石畳の道。
右手が江戸時代から使われていた船着き場だそうです。
多岐原神社の場所は三重県度会郡大紀町三瀬川。
初参拝の時にはナビはもちろん、Googleマップにも掲載されていませんでした。
現在も多岐原神社前までの道や三瀬の渡しまでの道は載っていません。
白のトヨタ・ヤリスを駐車している場所が、上の地図の矢印の辺りになります。
付近にはこの場所しか駐車スペースはありません。
ヤリスは宇治山田駅前で私が借りたレンタカーです。
右にある下り坂が多岐原神社への道です(地図には掲載されていません)。
多岐原神社への坂道はどなたでも問題なく行けると思いますが、
三瀬の渡しへはそれなりの脚力と覚悟が必要かと…。
あるいは私のようなアホな意地で頑張る必要があります。
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