インド仏跡巡礼(31)スジャータ村、ナイランジャナー河 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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釈尊(ブッダ)が悟りを開いた菩提樹の何代目かとお別れをした後、
バスは、あの“スジャータ”が住んでいたとされる村へと向った。

“スジャータ”は信仰心に篤く、優しい、村の長者の娘だった。

初産を控えた彼女は、長男が授かりたく、ナイランジャナー河の
傍に立つ、神聖なバニヤンの樹に、毎日、願をかけていた。

そして、めでたく、男子を出産したスジャータは、ある日、
願いがかなったお礼に、バニヤンの樹へ乳粥を奉納しに行くと、
偶然、樹の下に、苦行で疲れ果てた、釈尊が身体を休めていた。

釈尊は、苦行では悟れないと苦行を止め、ナイランジャナー河で
心身を清めた後、樹にもたれたが、動けなくなってしまった。

その状況に遭遇したスジャータは、釈尊を救う為に乳粥を捧げた。※
少しずつ、乳粥の施しで、生気と体力を蘇らせていく、釈尊。



やがて釈尊は、意を決し、自力で立ち上がり、対岸に聳える大きな
菩提樹の下へと向い、結跏趺坐に足を組み、深い瞑想へと入った。

瞑想の中で繰り広げられる、悪魔の誘惑と煩悩との熾烈な戦い。
釈尊は、ことごとく悪魔の攻撃を打ち払い、悪魔を屈服させた。

そしてついに12月8日、明けの明星の輝きの中で、悟りを開き、
釈尊(ゴーダマ・シッダルータ)は、ブッダへとなった。

                 

スジャータの村(セーナ村)はグーグルマップで見ると、ブッダガヤ
大塔から臨んで、ナイランジャナー河を挟んで、真向かいにある。

バスなら北へ上って、すぐ東の橋を渡り、南に下って15分程だ。
(上ったり下ったり、何とも京都的な、道案内やね)

 

村は丁度、稲の脱穀の時期で、何家族かが、総出で作業をしていた。
父ちゃん、母ちゃん、婆ちゃんに、キッズとドッグ、皆で作業中。

晴れ渡った空を背景に、のどかな雰囲気だが、無論、この土地で、
働く人々の苦労を知らない、旅行者の勝手な、イメージである。




稲を高く積み、脱穀機で脱穀し、もみ殻を分けて、と、東京出身
で、親戚も勤め人が多く、農作業経験もないので、わからないが、

「いや~懐かしいなぁ。日本も最近まで、こんな感じだったなぁ」
と、ご年配の方が、大きな声を出した時は…、
「えェ~?最近まで、こんな感じだったん?」と、正直、驚いた。

良く見ると、目の前に大きな煉瓦造りのストゥーパが建っている。

 

農村風景には馴染まない造形だが、釈尊(ブッダ)に乳粥を施した
スジャータを記念して、スジャータの屋敷跡に建てられたらしい。

                   ◆

ところで“スジャータ”と云えば、乳粥の話をもとに、コーヒー
フレッシュの商品名になった事は、有名な話だが、
実際に、今回の旅行の食事で、乳粥なるものを食べてみた。

牛乳に米と砂糖を混ぜ、お粥にした感じで、ナッツのスライスなど
も少し入っていて、甘くて、割と優しい味がする。

主食かデザートの一種かよく解らないが、朝、昼、晩と、カレー
味に侵されていた、我が胃と腸と舌の先には有難い味である。

とは言え、好んでオカワリがしたい、一品でもないのだが…

                   ◆

スジャータ村を出た後、バスはナイランジャナー河へと向かう。

最初はバスから河を眺めるだけの予定だったが、河に降りたいとの
希望が、ツアー参加者の中から多くでて、河岸にバスを止めた。

本来の河幅は、とてつもなく広いのだが、今は乾季の為、ほとんど
河に水がない。そのまま歩いて、対岸まで渡れそうである。

 

干上がった河底へ降りた人々は、感慨深げに、砂を踏みしめた後、
甲子園の砂を集めるように、用意したビニール袋に詰めていた。

砂をインドの器に入れ替えて、仏壇に置いて先祖供養がしたい。

これから亡くなる人を送る時に、棺の中に入れてあげたい。

妻と娘たち。家族の共通の記念に、分けて、持たせてあげたい。

手の平で集めた砂に寄せる「思い」は、人それぞれでだが‥、
やがてバスは、皆が詰めた砂の、重量分の「思い」も乗せて

母なる河、ガンガーの流れる、聖地ベナレスへと向かった。


インド仏跡巡礼(32)へ、続く
※スジャータの絵は、初転法輪寺の野生司香雪氏の壁画
 を撮影し掲載させて頂きました

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