#66宮﨑穣から紹介を受けました、2回生内野手の#62坂井です。穣は誰かが止めないとずっと練習し続けるほどストイックで、春の合宿では練習禁止令を出されていました。また、普段の優しい姿とは裏腹に毒舌なところがあり、今年はトークでもそのポテンシャルを発揮してほしいです。

 

さて、この野球部に入って丸一年が経ちましたが、あまり自分のことを話してこなかったせいか、春のDB冊子に「野球以外に興味がなさそうなので、どんな私生活を送っているかは謎」と書かれてしまいました。反省ですね。

大学には様々な地方からやってきた人がいます。そこで、初対面の人と話すときに必ずと言っていいほど出る質問が「地元どこなん?」。新入生の皆さんは色々な場所で話題にあがっているところではないでしょうか。しかし、僕はこの質問をされるとどう答えればいいか困ってしまいます。というのも、僕は親の仕事にあわせて引っ越しを何度もしてきたため、どこを地元と呼べばいいかが難しいのです今回は僕がこれまでに住んだ地元(?)を紹介したいと思います。

はじめに住んでいたのは和歌山です。昔のことなので記憶曖昧ですが、両親曰く「都会過ぎず田舎過ぎずちょうどいい」所だそうです。坂井家には今でも冬になると和歌山産のみかんがストックされます。とてもおいしいので、みかんにうるさい愛媛出身#staff芳野にも食べさせいです。 

5歳ごろ高知県に引っ越します。高知は自然がとにかく多く、人がとにかく少ない県でした僕が通っていた小学校もあまり生徒は多くなく、毎日同級生の誰かと日が暮れるまで遊んでいたような気がします。高知はカツオのたたきが有名ですが、ほかにも魚や野菜など、どの食べ物おいしいです方言や文化も独特なものがあり都会とは違うのどかな雰囲気がある場所で、ぜひまた行きたいと思います

小学校5年生の時に愛知県に引っ越します。僕が住んでいた名古屋市は高知と比べるとめちゃくちゃ都会で、初めは人の多さに圧倒されていました。名古屋といえば味噌のイメージが強いかと思いますが、実際給食でも赤味噌の味噌汁やみそカツが出てくるなど、とにかく色んな食べ物に味噌が使われていました。僕が一番ハマったのは味噌煮込みうどんです。

高校入学と同時に大阪に引っ越します。「自分の地元が分からない」という話をしましたが、僕自身のルーツは大阪で、親戚もほとんどが大阪周辺に住んでいます。同じ関西の和歌山に住んでいたこともあり、初めはなんとなく故郷に帰ってきたような感覚で、大阪の文化に違和感なく入り込めると思っていました。しかしいざ高校に行ってみると、トークのテンポ感や笑いへのアグレッシブさが名古屋とは全く違い、さらに和歌山時代から10年のブランクの間に自分の関西弁のイントネーションが歪んでおり、「エセ関西弁」認定を受けるなど、すっかり大阪人としてのプライドを失ってしまいました。それでも、高校3年間で何とか大阪のテンポ感に慣れ、今では北大阪出身の#33山K#60平木#46)とは問題なく張り合えていると思います。ただ、南大阪出身の#29永田には未だされ気味なので、今年はバッティングとともに、トークでも差し込まれない力強さを身につけたいと思います

僕の引っ越し歴はこんな感じです。子供のころからすむ場所が変わり文化が違ったり、新しい集団になじむのが難しかったり、昔は大変だなと思うことも多かったです。しかし最近はいろいろな場所で経験したことが活きているなと思うこと多く、貴重な経験が出来て良かったなと思います。

 

 

こちらは高校の遠足で訪れた清水寺です。京都に下宿し始めて1年経ちますが、近くにありすぎるせいか、ほぼ観光名所を巡ることなく過ごしてしまいました。今年は「第5の地元」である京都で色々な場所を開拓してみたいです。

 

次は連盟委員の#staff嘉田くんです。彼は自家用車で通学しているとのことで、同じ方向に出かけるときはぜひ乗せていただきたいです。同回生ながらいまだ素顔がベールに包まれている彼の知性あふれるキセキに期待しましょう!