野球の実力はもちろん、#6片岡が言っていたようなクセ強プレーで敵味方問わず選手を魅了し関西の大学野球界隈でそれなりに人気になってしまった#5伊藤から紹介を受けました若竹です。
彼とは高校時代に対戦したことがあるのですが今でも覚えているぐらいなんかな打ち方のやつおるなぁと思っていたのが伊藤でした。
何をしていても存在感があって本当に面白いやつだなと思います。
最終節の近大戦にはチャンスがあれば出場したかったですが直前でバットが振れない体になってしまったので試合は他のメンバーに任せてダイエットの方に集中しようと思います。


10月11日にこの文章を書いているのですが、これを書くまでに4回生の選手では野球部のNo.2で副主将の#3田中とNo.1の主将#1出口、それに挟まれる平部員の#2並川以外のキセキを読ませてもらいました。
個人的な感想としては公式戦に出ている、出ていないに関わらずほとんどの人が苦しんでいたような気がします。
僕も例にもれず公式戦に出れずに苦しんでいました。

レギュラーを獲得するという自分の理想とは違い今年の春リーグの前のOP戦の時期からスタメンで出られなくなり、Bの試合でスタメンで活躍してもAの試合では代打でしか出してもらえなくなりました。これに関しては正直今でも納得していないし理由を今更知りたいと思いません。
(客観的に見て実力が足りていないだけだったかもしれませんが)

このキセキにも場違いかな?、とか気まずくなるかなと思いつつも後輩が同じ思いをしないようにとか言い訳しつつ自分がすっきりするために思いっきり愚痴を書いてやろうと考えていました。

しかし10月8日に行われた引退試合でその計画はすべて破綻しました。
僕の肩は初回で脱臼するし、投手のはずの#15村尾が盗塁を決めるし、#19手塚は2イニングを投げて四球を6個も出したのに無失点で抑えてるし、それを見て野球部の中で最も精神年齢の低い4回生投手陣が意味の分からない喜び方をしてるし、挙句の果てにはネタキャラ筆頭の#25岳大がホームランを打つし、その他にもいろいろ起こりすぎて試合中はずっと笑っていたような気がします。
何か目標を達成したわけでもないし、特筆して活躍したわけでもない。
ただの紅白戦だったはずなのに試合が終わった後は自分の12年間の野球人生を悔いなくやり切れたと思えていました。

特に似たような立場で一緒に悩み苦しんで頑張ってきた岳大のホームランは自分が打った以上に嬉しくて僕の悩みとかモヤモヤを全部吹っ飛ばしてくれました。
岳大ありがとう、ナイスホームラン!


そんなこんなでキセキに超具体的な愚痴を書くという愚行をせずに済んだわけですが改めて何を書こうかと考えた時に、後輩が僕と全く同じ想いをしない、ということは大事だと思ったのでそれに関係して応援の話をしたいと思います。

ベンチに入れなかったメンバーはリーグ戦の時期になると頑張れば自転車でいける“わかさスタジアム京都”はまだしも、往復2400円かけて“ほっともっとフィールド神戸”まで応援だけをしに行ったりする訳ですが1,2回生の頃は試合の手伝いなどがありながらもかなり楽しく応援できていたと思います。
しかし3回生の頃からスタンドにいるのが少し悔しいと思い始め、4回生になってからは正直1回も純粋に応援できたと思うことはなく辛いだけの時間になっていました。


ではなぜこんなにも応援の時の心境が変わったのでしょうか。
僕の答えとしては心の底から“納得出来ているか”じゃないかなと思います。


1,2回生の頃の自分は実力が足りていないのが明らかだったし出れないのもしょうがない、京都大学の代表として先輩方に頑張ってほしいと純粋に願えていました。
3回生になると同級生から主力選手になる人が出てきたり、自分がリーグ戦に出ている姿が少しずつ想像できるようになってきたこともありスタンドにいるのが悔しいと思い始めました。
それでも今までの実績だったりOP戦での成績が自分よりもいい人がたくさんいたのでチャンスが回ってくるのを待つしかないなと思っていました。

そして集大成である4回生のシーズン、僕はOP戦で結果を出して絶対スタメンを獲ってやるぞと考えていました。
しかし結果は上に書いたように思った通りの機会が得られず気づけばリーグ戦が始まっていました。

こんなにもチャンスがないのはおかしくないかとずっと考え続けてしまって何か良いことがあっても以前のように喜べなくなったり、やらないといけないことがあっても野球以外のことも手につかず、寝ようとした時にこのことを考え出すと悔しくて涙が止まらなくなって寝られないみたいな日常が10月8日の紅白戦が終わるまでは続いていました。


でも今考えると本当にこんなに悩む必要があったのかというとそうではない気がします。
スタメン争いに負けた理由が分かっていないから納得できていないのであって負けた理由を知る方法はありました。
守備が下手だとしても送球がだめなのか捕球がだめなのか、打撃が弱いとしても速球への対応なのか変化球への対応なのかを具体的に聞けばよかった。
選手はいつでも選ばれる側なのに自分に必要なものを自分で決めつけてそれが認められなくて勝手に拗ねているだけだったのかな、と冷静になった今なら思えなくもないです。

強いチームはスタンドまで一体感がある、とどこかで聞いたような気がしますが不満を持ちながらスタンドにいるだけだった僕はかなりその妨げになってしまっていたと思います。
もし今似たような考えを持っている人がいたらチームのためにも自分のためにも絶対に納得するまで自分はなぜ試合に出れないのかを聞きに行く、直接聞くのはしんどくてもなんとかして確認してほしい。

そして足りない部分を練習で習得してまた次の足りないところを確認して練習して、試合で選ばれるための努力が一直線で出来て、それで負けたのなら悔しい気持ちがあるにしてもある程度すっきりした気持ちで応援出来たのかなと思います。

理想論だと思うし聞きにいく時のストレスは半端ないと思いますが、それでもやっておいたら良かったと思うくらいこの半年間はしんどかったので後悔したくない人はやってみてほしいと思います。
全員が納得するまでやって、スタンドも納得して応援している。
そんな一体感のある強いチームに来年はなってほしいと思います。


最後に今まで僕の野球を応援してくれた方々は本当にありがとうございました。
SNSには現れないし、「生きてるか?」のLINEが親や友人からきてしまうほど音信不通になることもあるような僕を気にかけてくれた人には感謝しかありません。
そういう自分の現状の報告というのが苦手な僕だからこそリーグ戦という分かりやすい結果で報告したかった。
野球で結果を出してこんな友達がおんねんとか、家族がここで活躍してますとか言ってもらえるような誇れる人間になりたかった。
でもそれが上手くいかなくて応援に来てもらったりしても逆に冷たい態度をとってしまうことが多かったと思います。
ごめんなさい。
最近は気持ちも落ち着いてきたので、これからはこの辛い経験が僕の人生の中で必要なものだったんだと言えるように、誇ってもらえる人間になれるように違う目標に向かって頑張っていくのでこれからもよろしくお願いします。

若竹翔吾





上は同じ天王寺高校の#7山縣さん#14木村さんと偶然一緒に写っている写真です。
僕が投手から野手に転向してから1人で勝手に目標にしていたのが3人でリーグ戦の電光掲示板に名前を並べることでした。最後の秋に木村さんが復活し、あとは僕が頑張れば達成できたと思うと少しだけ悔しいです。
しかし僕の最後のヒットは山縣さんがヒットで続いてくれて得点になったし、僕の最後のファインプレーはファーストカバーに入った木村さんへのロングトスでした。
最後のいいプレーを見てもらえてちょっと嬉しいです。
いつ辞めてもおかしくないと悩んでいた時期も尊敬する先輩に幻滅されたくない、誇れる後輩でありたいと思う気持ちが野球を続けられた1つの理由になったことは間違いありません。
僕はリーグで活躍する2人を見れて本当に楽しかったです、ありがとうございました!


ということで次は頼れる元気印、副主将の田中陽樹です。
チームのNo.2ということで自分のことだけでなく、チームのことまで考えながらいろいろやってくれて、本当に感謝しかありません。
試合中の彼の“声”は大きさはもちろんのこと声掛けの内容も素晴らしいので必ずベンチに1人は置いておきたいとみんな思っていると思います。
来年も彼のような声掛けができる選手がチームに絶対必要だと思うので、我こそはと思う人には頑張ってほしいと思います。
そんな彼の声が聞こえてきそうなキセキに期待しましょう!