3回生#29田村さんからご紹介を賜りました2回生仲村です。田村さんは全回生に高校時代のチームメイトがいるということもあり、みんなと仲良くとても明るい方です。僕がバッティング手袋を忘れた時に、貸していただいたご恩は、あと1年くらいは忘れません。彼の俊敏で華麗な守備と走塁は、京大野球部のリーグ優勝のために必要不可欠なものとなるはずです。

 さて、唐突ですが皆さんは紙にものを書く時、鉛筆派ですか?それともシャーペン派ですか?僕はまあシャーペン派なのですが、今回は誰しもが人生の中で一度は使ったことがあるであろう鉛筆についてお話していきたいと思います。

 鉛筆(えんぴつ)とは、筆記具・文房具の一種。顔料を細長く固めた芯(鉛筆芯)を軸(鉛筆軸)ではさんで持ち易くしたものである。
                (Wikipedia)

だそうです。この鉛筆を、ただ単に、何の意味もなく、机の上に立てて倒してみたことはあるでしょうか?ではやってみましょう。まず、鉛筆を削ります。そして、その尖った先端を机に突き立て、手を離します。どうなったでしょうか?
 1985年、ヒルバレーの科学者エメット・ブラウン博士は平行世界、つまり今私達が生きているこの世界と全く別の時間軸は実在すると断言した。また、2023年にタイムマシンを発明した天才発明家のトニー・スターク氏も別の時間軸から来た人間と出会ったことがあると口にしている。第23代アメリカ大統領ファニー・バレンタイン氏は別の世界から来た人間だったという逸話もある。これらのことからも、この世界には数多くの時間軸が存在すると言うことができます。正確には、世界は常に、今この瞬間にも分岐し続けているのです。日本が真珠湾を攻撃した時間軸、しなかった時間軸。机の上の鉛筆が右に倒れた時間軸、左に倒れた時間軸。どんな些細なことでも世界は分岐し、その瞬間に新たな世界、時間軸が誕生しているのです。
 この時間軸の分岐には主に2種類あります。それは、人の意思によって生まれる人工的な分岐と、人の意思によらない自然の摂理の下で起こる分岐の2つです。
 人の意思が作り出す分岐は、多くの場合において、人の心に後悔という感情をもたらします。人はみな人生の中で一度は、あそこで異なる選択をしていたらなあ、と思ったことがあるはずです。しかし、そんなことを思う必要など全くないと僕は考えます。過去を変えることなどタイムマシンでもない限り不可能であるので、私達は過去に自分がした選択の中で生きるしかないのです。別の選択をした場合の人生は、別の時間軸の自分に任せておけばいい。この時間軸の中で生きる私達は、過去を省みることよりも、今、そして未来に何をすべきか、したいと思うかを考えて行動することが一番大切なのです。
 次に、人の意思によらない分岐について考えてみましょう。とはいえ考えるまでもありませんが、この分岐は私達の認識の範疇には存在しません。私達が全く気づくことなく、世界は常に分岐し、新たな時間軸が生まれています。もちろん、何も考えずにその流れに身を任せればいいのですが、逆にそれを利用してみるのはどうでしょうか?例えば、今あなたが2つの選択肢のどちらを選ぶかで迷っているとします。それは自販機でコーラを買うかファンタを買うかのような些細なものから、大学受験で京都大学を受験するか東京大学を受験するかなどの人生を決定づけるようなものでもなんでもいい。その時、是非机の上に鉛筆を立ててみてほしいのです。仮にあなたが鉛筆が右に倒れた人生を送ることになったとしても、それは自然の摂理の下で送ることになった人生であり、後悔などまったくもって必要のない人生を歩むことができます。左に倒れた別の時間軸のあなたも、きっと後悔のない人生を歩んでいるはずです。僕はそう思います。
 たしかに、後悔の全くない人生は素晴らしい。過去を振り返ることなく、常に前向きに生きることができます。しかし、自分の行動全てに鉛筆を持ち込むと、本来なら意思を持つ生き物である人間が、流れゆく自然の摂理の一部分となってしまうのです。だからこそ私達は、自分の人生における大きな分岐点では自らの意思を貫き通す、のある人間にならなければならないのです。芯のある人間であれば、たとえどれだけ時間軸が分岐しようとも、全ての時間軸の自分は自分であり、自分のままでいられるのです。確固たる強い芯を持ち、数多の時間軸にはさまれながらも自分というものを失わない「鉛筆」のような人間になることこそが、人を生きるということにあたって最も大切なことだと僕は思います。

 さて、次は3回生#27青木悠真さんです。2022春リーグではサヨナラタイムリーも放ち、今ノリにノっています。そんなノリノリのな彼のキセキに是非期待しましょう!





 写真は我が愛すべき故郷神戸の美しい夜景です。いつか…必ず………!!