こんにちは!飯田Mgrからご紹介頂いた、投手2回の廣納拓哉です。


京大野球部の癒し系Mgrである彼女ですが、靴のサイズがとても小さく、一時話題になりました。サイズを聞いてみたいものです。


しかし!靴の小ささとは異なり、大きな器の持ち主であり、部に不可欠な存在です!!



一方で、年明けから肩を痛め、試合で投げれずプレーに関しては現在チームに不可欠とは言い難い私ですが、少しずつ回復し、復帰に向けて順調であります。


さて、初のキセキという事で何を書こうか、と実は去年の先輩のキセキを見てる時から考えていました。(楽しみにしてた?)



普段は、部活で場の空気を柔らかくすることが多い私ですが、年1回という事でキセキではまともなことを書こうと思います。

何個か候補はあがりましたが、今回はについて書きます。


兄は、現在東京大学大学院工学研究科で、大学時代は東大の硬式野球部に所属していました。大学での、専攻は化学システム工学です。



よくよく考えると、私は兄と似た道を辿ってきました。

小学校は低学年から春日ロジャースに入り、中高は普通に地元の公立学校に行き、浪人し、同じ予備校の同じクラスで勉強。

大学こそ違うものの、同じ硬式野球部。

大学での学科も私は工業化学科なので専攻によっては全く同じ。


我が家では、父親が勉強と野球には厳しかったので、ある程度子供の頃は同じような生活にはなっていましたが、ここまで似ているのは、どこかで兄を一つの目安にしていたからかもしれません。


大学で硬式野球部に入ろうと思ったのも、コロナ禍前に神宮球場に東大のリーグ戦を見に行き、こんなに多くの人が応援してくれる中で試合が出来るのか、と感激したからです。

また、本気でプロを目指している人ばかりのリーグで抑えられると思うと楽しくなってきたからです。

これも兄がいなければ、起き得なかったことです。


さて現在ですが、先日GWに兄が帰省し、ほっともっとに観戦に来てくれました。その時も、兄は電車の中で英語の難しい論文をずっと読んでいました。

自分は5年後電車で何をやっているんだろう、寝てる?ゲーム?YouTube?学問?


ここまで、色々書いて来ましたが、もちろん年齢的な差もあり、兄の方が先に進んでいると感じる部分は大きいと思います。

どの進路が正しいなんてこの世には無いとは思いますが、大きく道を踏み外していないのは兄の存在が大きいと思います。


これからも、別に追いかけるつもりはありませんが、あくまで一つの指標として、自分は自分で進路を決めてやって行きたいと思います。


やっぱり家族の存在は大きいです。





追記


これは小学6年生の時の写真です。JA杯の決勝で、当時全国優勝をしたとこのあった長曽根ストロングスに最終回に点を入れられて準優勝でした。ちなみに盾を持ってるのが私です。あと、多分1番右上にいるのが新1回の#66谷口航太郎です。彼とは小学校から中3まで一緒にプレーしていました。

まさか、この写真の中から5も大学で硬式野球部に入るなんて当時は誰も思っていなかったでしょう。。



次は、同じく投手2回の#67伊藤和都です!!彼は、先日のリーグ戦で初のベンチ入りを果たし、とても良い刺激になっています。

ライダースジャケットをこよなく愛する彼のキセキに期待しましょう!