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自家製ヨーグルトサワーと、好物のうまい棒。

健康オタクではあるけど、たまにはこーゆー
のも食べます、おいしー💕🍵

本日の記事は ↓コチラ↓の続編となります。

上の記事の最後に前振りとして書いた部分の

切り取り二カ所。↓


「悪人には 尊い辛苦(罪悪感、自責等)

はありません、肉欲が満たされずの低俗な

飢餓感 があるのみ。」



「この世で最も大切な 良心 

というのは、自分でありつつ

自分では無い」 


これを 本当の意味で理解する
繋がる体験をしたんやけど
(だからこそ情報として発信しなくてはっ!と
思った。ただ、この世で伝わる言葉として
整理するのと、いつもより客観視と吟味に
時間を要した)


半世紀以上にわたりあらゆる不思議・神秘・
心霊体験してる当アタクシ比で別格の体験で、
圧倒されました。

が、体験自体は短時間で地味、しかも所謂
トンデモ話になります。

寒くも暑くもないある晴れた日のお昼頃、
セッション部屋の床でストレッチ&ヨガを
してまして。
大の字に寝転び全身を脱力する

しかばねのポーズ をして大変リラックスして
おりました。
ほいで ふと12-13歳の頃にあった神秘体験
を思い出してました。

当時すでに 本を見てヨガの真似事とかしてたん
ですけど、ある時 目を瞑りながら前述の
しかぱねのポーズしてる時にいきなり宇宙に
浮いてる感じになり、ホンマに宇宙空間が
見えたのです。
一瞬怖い夢かと思い目を パッ!と開けたら
天井が目に入るも無重力の感覚のままで
動けず、目を閉じるとまた宇宙空間、、、
それが不思議なことにその宇宙空間に浮いてる
時には アタクシの体? を、無数の光が
流星の如く通り抜けて行くのです。🌠

ただ、流星 とは書きましたがそれはあくまで
イメージと言うか、想像していただくに相応しい
言葉がそれしか無いからそのように書くまでで、
ホンマは地上で見る流星のような
尾は引いておらず、柔らかい
光の曲線を描くでもなく、
ただただ垂直に四方八方から
通り抜ける、、、容赦なく
突き抜ける感じかな?
痛くも痒くも無いんですけどね。

当時には既に自分の能力に懐疑的であったから、
何度も何度も目を閉じて開く、、、を繰り返すも
宇宙空間?での風景・体験はやはりそのままで、

怖いけど美しい、怖いけどズーっと見て
いたい、、、っ、でも怖い、、、と
心までがどっちつかずで。

時間にしたらほんの数分やったとは思うけど、
その内 だんだん 宇宙空間の感覚が希薄
になり、現実世界に戻れたのです。

ただホンマの驚きは宇宙空間と現世の行き来
ではなく、現実世界に戻ってるのにも関わらず
アタクシの肉体を光の粒子?が通り抜ける
のは止まらず、ほんでもって
手の平から光の粒子が四方八方
に放射されてた ことです。

今ならば、光による癒しの能力 とか?で
説明したら何となくでも通じるけど、
まだヒーリングなんて言葉も無い昭和50年代
のことですし、驚きしかなかったです。

ただ、我が家の 故祖母 が当時 妙な
手かざしの 宗教にハマってて、いつも

「教祖様の手からは金銀の
光が出てる。信心が篤い人も
出るようになる」と聞かされてた
から、何かちょっとイヤでした。

アタクシの体験を バーちゃんに言うたら 
狂喜乱舞するやも知れぬし、アタクシ当時から
妙な宗教は大嫌いやったし、で、

絶対に言わないでおこう。
と固く決心したのを覚えてます。



ほいでそれより何十年も経ってから、素粒子
だのニュートリノだのってチラホラ耳に入る
ようになり、難しいことは全く判らへんけども
ニュートリノは垂直に通り抜け、稀に分子など
とぶつかって発光すると知り、

「あ、あの宇宙空間の光、あれは
ニュートリノとアタクシの肉体の分子が
ぶつかった際の光やったのかも?
肉体を通り抜けるってのも、科学的に
証明できる時代が来たんやな」
と、あの時の自分の体験を重ねられるピースが
揃ったような気分になり、何となく嬉しかった
です。

アタクシは当時のあの経験から、肉体や
物質 というモノに対しても、 
他の人には理解してもらえへん次元での
何とはなしの疑問 を
抱くようになったのです。

そんなこんなを思い出しつつ現在のアタクシが、
当時と同じ体勢でセッション部屋の床に
転がっておったのです。

そしたら何十年かぶりに、またあの宇宙空間に
浮かぶ感覚が甦ってきたのです。



続く