こんばんは☆
京女みさきです。
(^ー^)
あと3日に迫った
「葵祭」を盛り上げる為に、
お華とお菓子は私が担当??
(笑)
京都近郊にお住まいの方でなくとも、、
目で楽しめる記事を書きたいと思います♪♪
(^ー^)
一昨日の記事の、
大田神社の杜若(カキツバタ)を象ったお菓子は、
特別に葵祭用というわけではないようですが、
京都人としては、
葵祭を連想してしまいます。
大田社が上賀茂神社の摂社である事と、
幻想的な群生の開花が葵祭と重なるので、
余計にそうなのかもしれまへん。
そして、
雅な菓子たちの競演!
また典雅な5月がやってきたなぁと感じます。
^^
特に上生菓子は京都発祥で、
元禄時代から茶の湯とともに発展してきた食べる芸術です。
色あい、味、形とも老舗京菓子司が最高の逸品を競います。
味は勿論ですが、
素材から色と象で巧みに表現してありますので、
上生菓子たちを見るだけで、
巡ってきた季節の訪れに何度も心踊らさせることになります。
期間限定の大好物なら尚更ですよね!
(^ー^)b
さてさて、
楽しみな葵祭。
葵祭は京都三大祭のひとつで、
我が国の祭のうち
最も優雅で古趣に富んだ祭として知られています。
日本文学を知っている人間であるならば、
一度は目にしたい典雅な賀茂祭。
古くは賀茂祭、
または北の祭りとも称し、
平安中期の貴族の間では、
単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名でありました。
この祭の特徴は、
平安時代以来、
国家的な行事として行われてきたので、
わが国の祭のなかでも、数少ない「王朝風俗」の伝統が残されているということです。
↑必見ですよ☆
内裏宸殿の御簾をはじめ、
牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまですべて、
[葵]の葉を装飾するようになって、
庶民にも親しみ深い
「葵祭」という名で呼ばれるようになりました。
祭の起源と沿革は、
今から約1450年前の
欽明天皇の567年、
国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、
賀茂の神々の祟りを鎮めるために行われるようになりました。
この祭の見どころは、
やはり有名な「路頭の儀」(行列)。
勅使をはじめ、
検非違使、内蔵使、山城使、
牛車、風流傘、斎王代など、
平安貴族そのままの姿で列をつくり、
京都御所を出発します。
総勢500余名、
馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が、
遠く東山や北山の峰々を眺望しながら下鴨神社へ、
さらに上賀茂神社へ向かいます。
その道のりは約8キロにもおよびます。
平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、
神馬の引き回し、
舞人による
「あずまあそび」の舞が奉納がされます。
3日に、
葵祭の前儀・露払いとして、
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)
疾走する馬上から
射手が清め祓いの矢で的を射る神事が行われました。
(記事済み)
4日斎王代女人列御禊神事。
5日歩射神事、競べ馬神事。
そして本日12日は、
御蔭祭です。
葵祭に先駆けて、
下鴨神社の祭神の荒御魂(あらみたま)を比叡山山ろくの御蔭神社(左京区上高野)から下鴨神社に迎える神事があります。
境内の糺の森で行われる「東游(あずまあそび)」
(16:00~)の舞楽はたおやかな趣きのある舞です。
2012年5月12日(土)9:30~
下鴨神社…京都市左京区下鴨泉川町59
http://www.shimogamo-jinja.or.jp
というように、
葵祭は
半月に渡って様々な神事が執り行われる壮大華麗な大祭なのです。
それら神事に合わせて、
色々な味わい深い葵祭に関するお菓子が、
各老舗菓子司にて発売されてます。
葵祭だけで召し上がれる伝統の御菓子「申餅」も140年ぶりに宝泉堂さんが復刻しました。
画像は
宝泉堂「申餅」
140年ぶりに復刻したもの
鶴屋吉信 「斎王代」
鶴屋吉信「王朝花傘」
鶴屋吉信「賀茂みどり」
老松 「流鏑馬」
あと、
玄関先で葵祭りの紋である
ふたば葵をパチリ!
してみました☆
青々とした5月の生命の息吹を感じますよね。
(^ー^)ノシ
その2へ続きます。→