前の記事に書いた 2013年『PERSON』の
智くんの言葉

きだつよしさんとの出会いは大きかったね。そこで、カンパニーで1つの作品を作る楽しさを知って。あとは''俺、まだ動けるんだ''って思った(笑)。その当時は『KYO TO KYO』で積み重ねてきたものを、嵐の初期のコンサートなんかでやり尽くして燃焼した感があったのね。踊りに対する熱が冷めていたっていうか。でも、殺陣にしても激しい舞台で、''あれあれ動けるぞ、やっぱ舞台、楽しいわあ''って思ってるうちに、また情熱が甦ってきた。…のかなあ(笑)。




舞台で''動ける''ことを実感して
踊りへの情熱が甦ってきた。

その頃の智くんを感じたくなって
2003年『Arashi How’s it going?』
2004年『嵐!いざッ、Now Tour!!』を観てた。

『How’s〜』の
『so-so-so』『テ アゲロ』『15th Moon』とか
『いざッ!Now〜』の
『TOP SECRET』『RIGHT BACK TO YOU』とか。


智くんの踊りに対する情熱が再燃した2003年頃を
思う時、私いつもこの
『How’s〜』の『15th Moon』の智くんの踊りが頭に思い浮かぶ。


これもどこかでたぶん書いたと思うけど
この智くんの踊りがすごくって
自己の内側にひたすら向かってる感じがするから。

それこそ、俺の踊りを観て!って感じじゃないの。
ひたすらにひたむきに自己の内側に向かって探求していく。ただ自分が納得するところに向かってる感じが

この『15th Moon』から感じられて
その想いを観ていたくなる感覚がいい。



その、踊りへの情熱再燃は『アラシゴト』に
詳しく書いてある。

’03年の『センゴクプー』には、またダンスに対する情熱みたいなものを思い出させてもらった。京都にいたときみたいな、「もっと踊りたい。うまくなりたい」っていう思い。京都でひとまず達成感を味わってからは「気がすんだ」状態が続いていたんだけど。『センゴクプー』で久しぶりに激しく動いたら、けっこう動けたんだよね。それがうれしくて、無性に踊りたくなった。それからは火がついたように、海外アーティストのビデオを見たり、レッスンしたり。そんな自分、久しぶりだった。


舞台『センゴクプー』が2003年4月から5月。
『How’s〜』が2003年夏。

『How’s〜』のソロ曲『so-so-so』も
その振付をしたTadakoさんが言ってた⬇️



そうして、翌年の2004年あの『TOP〜』が出来た。
振付も自分でするように。

2013年『PERSON』で語っていたように
この、2003年、2004年は智くんの踊りの1つの転機。



『アラシゴト』でジュニアの頃の想いを
正直、芸能界とか仕事にはあんまり興味がなかったんだよね。別にドラマに出たいとも思わなかった。ただ踊りだけは「なんて楽しいんだ!」って思ったの。踊りだけは、とにかくうまくなりたかった。



20年以上を経て

『嵐を旅する展覧会』の『OHNO ROOM』で
大野智が決めた展示のテーマは''アート''と''ダンス''
としていた智くんの想いに、


気持ちを馳せる。






そこから

智くんの舞台へと気持ちが向いてきた時に
きだつよしさんのXをたまたま見て。

大阪のオリックス劇場が旧大阪厚生年金会館であることを、プーで訪れたことがあったと智くんの名前を出してポストされてて。

旧大阪厚生年金会館で公演されたのは
『バクマツバンプー』2005年10月。

きださん、町田くんと屋良っちの舞台も行かれて
智くんと翔くん連名のお花もポストされてた。


もう…そこから舞台にどんどん入り込んじゃって。
しばらく抜け出せなくなってた笑






アートと踊りが智くんのなかでしめる割合が大きかったであろうことは想像できるけど

舞台もまた、智くんのなかで大きかったと思う

こうして
智くんの言葉を追っかけていると

この世界で生きてきた智くんのなかの
''柱''みたいなものが、アートと踊りと舞台だったんじゃないだろうか…。

そう感じる理由のひとつが『FREESTYLEI』作品集。

ーフィギュア100個作る!とかこの日までに絵を仕上げる、とか…自分に目標を課すことは、どうしてはじまったの?
と、そのきっかけを聞かれて
あれは舞台のおかげだよね。舞台ってさ、もちろんライブでもそうだけど、特に舞台は稽古時間が短くても、本番は決まってて、お客さんが入る…これはもう確実にあって、逃げ出すことは出来ないでしょ?
出来るのかよ、と思うけどこれまで出来てきた、その経験があるから「やれば出来る」って。じゃあ絵も期日を決めたらいいんだって。
舞台も、そうやってくとすごく達成感があって。


ーそうやって期日決めるようになってからは、性格も変わった?昔は「自分に自信がない」「出来るかな」と不安そうだった、と。
あぁ、そこは変わった。そうなの……舞台でも不安だったもん。いつから変わったんだろうね?やっぱ『WEST SIDE STORY』からだね。

やっぱ基本、舞台で自信がついてる。

アンサンブルの人たちを見て出遅れていると感じた、と。

絶対負けたくない!って思ったの。あれ……結構、きっかけかも。で千秋楽では絶対、自分の中で勝った!って思ってる想像図がポッと浮かんで。そこを目指して、ずーっとやってた。だから、アンサンブルのおかげかも。みんなに絶対負けたくないと思ったの(笑)。

カンパニーの素晴らしさっていうのを、2006年の舞台ではじめて感じたの。それが得たもの。座長としての意識も芽生えたし……それが良かった。

カンパニーの団結を感じた話しはよくしてる
先の『PERSON』でもカンパニーで1つの作品を作る楽しさ、と。2006年『テンセイクンプー』。

そして、その『テンセイクンプー』舞台中に
個展をやりたいと事務所に直談判した。
この舞台の稽古中に言おうと思ってたの。でもやっぱ舞台って難しすぎて…ずっと考えちゃうから。だから稽古が終わって、本番はじまってから、一番自分が頑張ってる時に言おう!って。だって、自分が何もしてないダメな時に言っても、自分の中でも気持ち悪いし、自分が必死にやってる時に言った方が、気分もいいなって。


2008年までコンスタントに舞台をやってきてたんだから、舞台の話しが多く出て当たり前、かもしれないけど、でも不思議なことにコンサートやテレビ、演技の話しはあまり出てこない。

で、こういうふうに書いてて思うのは

舞台で
自分が成長したり、自身がついたりしてることに
自分で気付いていく、智くん。
自分がどれだけ必死で頑張ってきたかは
自分だからわかっていて、それに結果が伴ってきたことを実感として感じている。

その達成感が智くんにとってかけがえのないものだったんだろうことが伝わってくる。



『アマツカゼ』のパンフレット。

僕が心の奥に秘めていた熱いもの、それをきださんは次々と引き出してくれるんですね。特に『バクマツバンプー』のときの「熱い自分」を見て、自分でもビックリしたんです。あんなに情熱的になったのは初めてのことでしたから。

稽古中に号泣してしまってセリフが言えなくなったエピソードは『バクマツ〜』だったよね、たしか。

毎回思うことなんですけど、舞台の千秋楽に味わう達成感は、本当に最高なんです。特に前回(テンセイクンプー)は初めての青山劇場進出ということもあって、チームワークがすごかった。勝ち負けじゃないんだけど、「チーム力」で勝てたって感じでしたね。自分ひとりではなくチームとしての達成感がありました。

カンパニーの素晴らしさをここでも語っていて。




こんなふうに

新たな自分を発見したり
わからなかったことに気付けたり

成長と自信。

その上での達成感。

智くんのなかでそれは舞台ならではの感覚が
一番大きいのかなって



だから『テンセイクンプー』舞台中
初めての事務所への個展直談判へと
自分を進めることが出来たのかなって想像。



そして…

『FREESTYLE2020』作品集で

活動休止発表後「あなただけのファンの方もいるから。ちゃんと一つ、あなたができることをやらなきゃね」とジュリーさんに言われた時に

「ちゃんと一つ、自分ができること」

それが何なのかを考えていた時に
''舞台''も
例えば…と前置きをした上ではあったけど
智くんの選択肢のなかにあった。

映画とかドラマとか、そういうお芝居の仕事なのか?個展なのか?でも個展だと作品だけだから、自分が出ないのはファンのみんな的にどうなのか。例えば舞台なのか?っていったら、それこそ観れる人数が制限されてしまうし。


最後の舞台から10年以上経っていても
舞台、というのがちゃんと頭の中にあるんだろうなと思える



智くんもきださんもお互いに認めあって、求めあっているのに、2008年の『アマツカゼ』が舞台最後になったのは何故なんだろうなぁ…っていうのが

ずっとある。

2008年以降、嵐として忙しくなったからかと思ったけど、その後もメンバーは舞台をやってる。智くんの舞台は激しいから怪我とかの心配があるのかな、とも思うけど、きださんの作品じゃないけど『TRUE WEST』のような内容ならそういう心配もないし…。


今回、智くんの舞台をいろいろ漁っていて、
ある雑誌の拾い画を見つけたんだけど


拾い画だからそのまま載せるわけにはいかないかなと思って💦


きださんが智くんのことを語っているもので

また大野くんと仕事をできるなら、今の彼に『センゴクプー』をやってほしい。大野くん、舞台がやりたくなったら、また声を掛けて下さい。

とあって、それが2014年のテレビ誌だとあって。

拾い画だから何とも言えないけど、
この雑誌が2014年のものなら、きださんの方は智くんとの舞台をその時点でも希望していたのか、と思って。


まあ…本当のところはわからないままだし
考えても仕方ないからナンだけど照れ



もっと智くんの舞台について、
パンフレットとかいろいろ書きたかったんだけど
あんまり書けなかったな…🙇‍♀️

舞台っていうのが

智くんにとってかけがえのないものであったこと
そこに、その想いに、もっと入り込んでいきたいんだけど、何せ、舞台についてはその資料となるものが少なすぎて、深いところに入り込みたくてもいけないのが

もどかしい。

もっとパンフを読み込まなきゃね
もっと読んでひとつひとつ、理解をしていきたいなぁ