先日書いた
2012年のチャリTシャツデザイン画について
智くんが語っていたアジポップ第99号には

振付け師 Tadakoさんのインタビューも
載ってて


嵐の曲では
「ハダシの未来」「きっと大丈夫」「Love so sweet」「Happiness」「Truth」「曇りのち、快晴」「Troublemaker」「Monster」「ユカイツーカイ怪物くん」「迷宮ラブソング」「ワイルドアットハート」「so-so-so」
と数々の曲の振付を担当

楽曲見ても
Tadakoさんって智くんとの接点が多いんだびっくり


Tadakoさんのインタビュー一部抜粋

ーコンサートの振付けをするようになったのは、いつからなのでしょう。

初めて振付けをしたのは、2003年の嵐のライヴ『How's it going』です。私もまだま20代で若かったので全然足りなかったと思います(笑)。この時は『ハダシの未来』とか…大野さんのソロ曲『so-so-so』とかを振付けしました。

ー"so-so-so"は馬飛びを取り入れたりして、インパクトのある振付けでしたね。

そうとう前の事で覚えてませんが、何か大きな技を入れたくてやったんだと思います。その時の大野さんは覚えは早いしセンスがある。何より踊りが好きなんだと感じました。今ではソロは自分で振付けてますもんね。全部カッコいいですからね。大野さんでなければできない独特の振りだと思います。

ー嵐それぞれのソロの振付けで好きなナンバーを聞かせて下さい。

大野さんは『hung up on』。間奏の部分とかがやはり彼の世界観が出ていると思いました。いつも難しいリズム取りやステップで観客を魅了していますよね。


『so-so-so』の馬跳びの馬になっているのが
Kis-My-Ft2 の誰かだと聞いたことがあるけど、
本当かな?よくは知らなくて🙇

あの高さの馬をさらっと飛んでてすごいよね~ラブ
ホントカッコいいのピンクハート

覚えは早いし、センスがある。
何より踊りが好きなんだと感じました。
というTadakoさんの言葉が嬉しい

踊りが好きなんだというのは
その踊りを見てると伝わるものなんだな

踊りが好きだから
自分が納得できるまで努力を重ねていた
智くん



Voyage の OHNO‘S Diary での智くんの言葉
でもね、聞いてくれる?20代めちゃくちゃやったからね。もう…個人練習、1人で家で。
だから…20代、培ったことが今、生きとるわけよ。

これ観た時、20代にストイックに努力し、練習してきたことが智くんのプライドとなって今に至ってるんだなぁと思った。



これは『世界一難しい恋』の雑誌祭りだから
2016年の雑誌…これ an・an かな…ちょっと不明

ー10代半ばで芸能界に入ってからさまざまな現場を経験してきた。歌も踊りも芝居もできると讃えられる嵐のリーダー・大野智にも、壁というものはあったのだろうか。

踊りで言ったら、自分の中での勝手な理想があった。でも、当然、そこに自分は辿り着いていないから、毎日帰って練習してたよ。要は、自分の体を自由自在に動かせていなかったから、いろんな動きをひとりで黙々とやり続けてたんだけど。踊りが好きで、上手くなりたいと思っていたからやれたんだよね。Jr.時代に特に集中していて、嵐になる前に一旦満足して。デビューしてから3年くらいして、また動きたくなったから練習した。好きっていう気持ちが高まると、そうなるみたい(笑)。


踊りに関しては、嵐になる前に達成した感があって、それで事務所を辞めようと思ってた智くんが
また踊りに対して熱が入ったのは何だろうと思ってたけど、そういう時期があったんだね


これ書いてて思い出したけど
さっき Tadakoさんの話でも出た『How's it going』

そのなかの『15th Moon』の踊りを初めて観た時
智くんがなんかすごいって思って。
なんていうか…踊りに対する情熱みたいなもの…すごく突き詰めてるんだなって感じ。妥協が一切ないような。

それでいてやっぱり
"見て見て俺の踊り、すごいでしょ"的なものは皆無で
自己の内側と闘ってるようだなって


それはもう…夢中になってリピしてた


ああ、この感じかなTadakoさんの言う
踊りが好きなんだと感じたっていうのは




2017年『Cut』

ー大野くんが初めて踊りが好きだなとか得意だなと思ったのは、いつですか?

ちゃんと踊ったのは、事務所に入ってからですね。それまでは、親がマイケルジャクソンとかが好きで、テレビでずーっと流れてたから、そのものまねをしていたぐらいかな(笑)。それをやると、親が笑うのが面白くて踊ってました。

ーじゃあ、はじめはダンスが好きということではなくて、ジャニーズに入って踊りをやってみたら好きになったんですね?

そう、ジャニーさんに「いいね」って言われたから、「あ、いいんだ」と思って(笑)。そこから好きになったのかな。

ー自分の踊りのどこがいいのかって自分ではわかりましたか?

いや、その時はよくわからなくて。でもやっぱり、自分で踊ったり、先輩の踊りとかもいろいろ見たりして、ああいうふうになれたらいいなぁと思ってて。それでずっと練習していたかな。

ーいろんな先輩のバックで踊ったりするのは、先輩を見ていて憧れとかもあったし、自分でやって褒められるのも楽しかったということなんですね。

うん。あとは自分が納得いくまでやりたかったから、ずっとやってたのかな。

ー大野くんはそのあと、ダンスを究めようという方向に行きますよね。それは、ダンスをやりたいという気持ちがどんどんエスカレートしていったんですか?

そうですね。先輩も含め、いろんなダンサーみたいに踊れるようなるまでやろうと思って練習してました。それで、自分の中である程度のところまで到達したので、一旦やめたんです。

ー結局、嵐の中でまたダンスとか振付けをやるようになって、もう一回、自分の中で楽しめる余地が見つかっていった?

そうですね。その時は、舞台とかもやらせてもらっていて。「あ、まだ動ける」と思ったし、ダンスもいろいろ種類があるから、また違う感じのダンスをしたくなって。それでまた、究めたくなったのかな。



カッコいいな


前に
マイケルのまねをして親が笑ってくれたことや
ジャニーさんにいいね、と褒められたことが
当時の智少年に響いてそれが心に残って
智くんの今があるのかも、というようなことを
書いたけど


きっとそれは大きいかも



やっぱり
嵐として活動していくなかで
踊りに対する情熱が再燃した時期があって


舞台と踊りの関係性も深いんだな
きっと








5×20のドルビー観てたその最中に
何故だかふと思い出したことがあって。

観てる最中に思い出したことが
何だか不思議な感じがした。


智くんがコンサートのMCでやたら
「力を抜く」「手を抜く」みたいな話をしてた事


まさにそれは5×20のコンサートMCだった
しかも一回言っただけじゃなくて、MCのたびに何度も言ってた記憶(笑)(←レポで何度も読んだw)


その時期のタイミングでだったか
3時のヒロインのかなでちゃんがVS嵐で
智くんの踊りは休憩しがち…だったかな
そんなような話をして


その時は
あぁ…もう~智くんってば誤解されるようなことまた言ってぇ…みたいに思ってw

「力を抜く必要性」みたいなのを
前のお部屋のブログで自分の思うそのことを書いてw





でも今回の映画『Record of Memories』を
観てたらそれまでよりまた一層、智くんの踊りに対する情熱と思いを感じたし、それをあらためて感じることが出来たことが嬉しかった


智くんがなんでそんなこと言ったのかは
わからないけど


智くんが芸能界という場所に身を置くことに至った原点"踊り"。


活動休止期間を経たあと
また踊りに気持ちが向かうこともあるのかな







※。.:*:・'°☆※。.:*:・'°☆







智くんの姿が見れなくなって約1年

この小さく拙いブログ
読みに来てくださった皆様
いいね、や
コメント、メッセージをくださった皆様

本当にありがとうございます
すごくすごく励みになりました

智くんの姿は見れなくても
好きは増すばかり…増すっていうより
"好き"がより深くなっていってる

感じ


私にとってこの場所は
"大野智さんのことが大好きです"という
印籠のようなもの


来年もいち智くんファンとして
ブログタイトル"強く優しくしなやかに"
そして"穏やかに自然に"を目標にしながら

"真摯に誠実に"を忘れないように一生懸命
書いていきたいです。


ありがとうございましたキラキラ
皆様良いお年を。。。🙇