こんばんは、人参です。
さっき所さんのTV番組で『日本を極めた外国人SP』て番組みてました。
途中から見たんだけど包丁加治をやる外国人の人はたまたま店の前を通り惹かれた包丁加治の人に弟子入りをして、そこの16代目の人から17代目を任され母国で包丁加治をして「こんなロマンティックな仕事はない」と言っていました。
16代目の日本人の人は日本人よりも日本人らしいその人の真剣さや実直さをみて17代目を任せたらしいです。
次にスペイン人の盆栽作家のやつもやっていました。
世界的に有名な日本の盆栽界の巨匠がその人に盆栽を譲ったって話がされていました。
その巨匠は盆栽は生きている芸術品だからどんなにお金を積まれても任せられる人にしか預けないらしいです。
そして認められたのがスペイン人のその人だったって中身でした。
その番組みておもったんだけど、日本の文化を極めた外国人が出てくる。日本人が放棄した文化の継承が外国人だっただけみたいな感じです。
ちょっと悲しいけど日本よりも日本の文化をみれるのってもはや外国の人の方が多いように感じることは多いので、なんとも言えない感じになります。
自分の身に置き換えて考えてみよう。
で、考えたらガンプラかな?
生まれて34年のガンプラという文化。
他の模型よりも自由度の高いガンプラというプラモデル文化は他の日本的なものに比べるとまだ歴史は少ないけどこれからの文化だよなーと思ったんよ。
今まで個人的な趣味としてしか思ってなかったガンプラもそうなると感じ方が変わってきました。
個人的な栄誉て物だけではなく文化を広めるって意味で考えると模型の世界大会『ガンプラビルダーワールドカップ』をやるってのは、賞を目指すよりも文化として広めるって感じると有意義な目標として模型できそうだなと思ったのはある意味楽しいです。
(お前何様だよってツッコミはとりあえず勘弁してねw)
◾︎それにつながるお話
今日部屋を片付けてたらこんな雑誌を発見しました。
この雑誌の初版は1987年2月。
モデルグラフィックスの別冊です。
1987年をガンダムでいうとZZのTV放送が終わったのが1987年1月。
HGやMGで育ってる人々はあまり馴染みがないかもだけどHGとかが出る前のガンプラはなかなか厳しいものが多いです。
よって模型誌の作例はハンパなく改造されまくったものが多かったんですよ。
その中でもエグいのが『モデルグラフィックス』初めて見たのは小学校高学年になってたがその半端ない工作は驚愕の一言でしたね。
ある程度模型の工作レベルが上がったり、工具もいいのが揃った今の自分でさえその再現はまだ無理と思います。
そのくらいエグい。
改めて読み返して怖いものがありますよ。
バキュームフォームやプラ板からのフルスクラッチが当たり前のように書いてある細かな設計図
当然工具は今よりも揃ってはない時代。
個人的な意見でいうならガンプラと言う模型の工作技術の黄金期、ピークはこのころなんじゃないかとも思うんです。
ガンプラが発売されたのが1980年で、最初のHGが発売されたのが確か1992年くらいだったと思う。
この12年間。
この中でいかに自分が追い求めるかっこよさを作ろうかと奮闘した作品を見ると驚愕でしかない。
◾︎1987年発表 ゲーマルク
製作者:鈴木信夫
なんどもこの言葉をつかいます。
『エグい❗️』
ちなみにこの作品ではないけどこの本を読み漁ってたらもうすでに現在『シイタケ』と言われるディテールのやり方が書いてあります。
さて、そろそろ話をまとめよう。
何が言いたいかと言うと、
ガンプラって文化を考えると今は簡単にかっこいいモノが誰でも作れるという素晴らしい時代。MGとかなら色を塗らなくてもほぼ設定通りになる。
しかし、現代の便利な世界と同じで、誰が作ってもかっこいいってものは言い換えれば無個性のものになりかねないのではないだろうか?
もちろん今のモデルスタイルのモデラーを悪く言うものでもないし、よく言うように改造する人が偉いわけでもない。これは間違いない。
何が言いたいか伝わりにくかったらごめんなさい。
改めて25年以上前の作例や技術を見てると当時の模型の製作技術を廃れさせるには惜しいと思うようなものばかり。
そのような模型の製作技術を今に復活させたり、伝えていくのも一つの模型の継承なのかもなと真面目に考えてしまったわけです。
伝統的なものが大量生産にのまれ消えていく。先のTV番組と同じようだなとおもったんです。
で、考えた。
「あれ?そう考えるとあの人ってもしかして?!」
私が思った『あの人』とはプロモデラーの『n-Blood』こと『n兄さん』。
ある程度以上のモデラーさんならよく知ってるでしょう。
私自身ちゃんと話したのは1度しかないがあの人のブログを見てるといつも感じるものがあったんです。
かなり細かいことをよくやったり、細かくわかりやすくブログを書いて説明してるのを思い出し、『あ、この人は技術の継承をしようとしてるのかな?』とテンションが上がりました。
元々一度飲み会で話を聞かせてもらった時もその理論からくるモデリングは理屈モデリングが好きな私にも楽しいものでした。
それは私自身年齢よりも古臭いモデラーだからかもしれません。古いキットを作って直してきて、『個』の作品を見て育ってきたからかもしれません。
そう考えた時、ちょっと自分の模型の先が見えたような気がします。
人参的モデリングは「第1章、10代の試行錯誤」「第2章、リターンしてからの模索」を超えてなんとなく「第3章」の扉を開いたような気がします。
別に全部が全部『エグい』をやるつもりはないですが今後のモデリングやブログの書き方がちょっと変わりそうかなと思う夜でした。
なんか自己満足の語りになってしまったので無理にコメントなどはしないでもいいっすよ。
あえてコメ欄消したりはしないですがw
ちなみに今回発見したさっきの雑誌になんとZプラスのデザイナー『あ』の人が監修したZプラス初の立体物が載っていたんです❗️❗️❗️
みなさーん、掃除は大事ですよw
次回はちゃんとZプラスのブログになりますのでご心配なくー。
そんなら皆様ばいばいきーん