いよいよ銀魂も「バラガキ編」に突入。
そこで今日は前回も予告した通り、
この子について。
「佐々木鉄之助」くんのモデルとなった
「市村鉄之助」
しっかしすごい顔だな・・・・(--;)
Bボーイとな。
鉄之助君と言えばこっちのが有名かな?
「ピースメーカー」の市村鉄之助。
以前日野の佐藤彦五郎資料館で「ピースメーカー展」やってたな。
すごい人だったのを覚えている。
(僕は子供がちいさかったので見に行かれなかったんだけどな)
じゃ、本題。
鉄くんは、大垣藩(現在の岐阜県)の市村半右衛門の3男として生まれている。
長男が早くに亡くなってるから実際は次男になるのかな??
どういう理由でかわからないんだが、お父さんが藩を追われてしまって
近江国友村(現在の滋賀県)に移り住んでいる。
(ピースメーカーでは家族が殺された事になってるみたいだな)
その後、慶応3年に兄の辰之助と共に14歳で新選組に入隊。
年少隊士で構成された「両長召抱人」の一員になっている。
「両長召抱人」ってのは小姓の事。
ま、雑用係ってことだな。
年若い隊士は戦闘員として扱われなかったようだ。
会津戦争時も戦線から外されてたしな。
翌年の慶応4年、鳥羽伏見の戦い後、兄の辰之助は新選組を脱走してるんだけど、
鉄くんは残って、少年兵として会津~仙台~北海道まで同行。
仙台から後は「土方歳三の附属」という立場となって北海道上陸後も土方さんに仕えている。
鉄くんは本当に歳三を慕っていたようで、
「鉄之助だけはひとり土方のそばを離れず、才知あってよく仕えた」
という記録が残っている。
そして歳三も
「土方も一方ならず愛していた」と・・・
・・・・変な意味じゃないぞ。
可愛がってたってことだ!!!!ヽ(`Д´)ノ
明治2年4月。
死期を悟った歳三は鉄くんにひとふさの髪と写真。愛刀の兼定を託して函館を脱出し、日野の佐藤家に遺品を届けろと命令した。
鉄くんは
「最後まで土方さんのそばにいて戦う!!」
と懇願したのだが、歳三はそれを許さず、
鉄くんを叱り飛ばして(ほぼ無理やり)横浜行きの船に乗せて脱出させた。
翌月5月11日。歳三は一本木関門で銃弾を受け、戦死している。
泣きながら北海道を脱出した鉄くんは、追っ手から逃れながらなんとか日野の佐藤家にたどり着いた。
佐藤家を訪れた鉄くんは乞食以上に汚い恰好だった。
そのせいで最初は不審者だと思われたらしい。
大きな桶を背負って、時々その中で休息を取りながら追っ手から逃れてきたのだとか。
・・・・ううう、苦労したんだなぁ・・・鉄くん(TT)
遺品を渡し、2~3年ほど佐藤家で匿われたあと、
「実家で家督を継ぐ者がいなくなったから家督を継いでくれ」
と知らせを受け、実家に帰郷。
その後、西南戦争に参加して戦死した・・・・・
という言い伝えがあるが・・・・・
西南戦争には参加してないようだな。
最近分かったことなんだが、
市村家の墓の遺骨をDNA判定したところ、鉄くんは若くして病気でなくなっていることがわかったんだ。
鉄くんは実家の大垣で病死しているんだ。
すげ~な科学の力。
日野宿本陣には現在でも鉄くんが匿われていた部屋がそのまま残っているので、
訪れた際には是非、畳の上をゴロゴロ転がってみてくれ(`∀´)
最後の時まで歳三に従おうとした少年、鉄之助。
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