農業基本法の顛末

 

なぜ 今、食と農の基本法が改定なのか(上)

経済成長を支え、新自由主義時代を生き抜き挫折した農業の理念法

      2024.5.6  大野和興    エキスパート - Yahoo!ニュース

 

 

 農業・食糧政策の基本を定める「食料・農業・農村基本法」(基本法)の改正案の審議が 国会で

進んでいます。あわせて 食料が不測の事態に陥ったときを想定した「食料供給困難事態対策法案」

「農地関連法改正案」農業に AI技術を導入するスマート農業技術の活用促進を図る新法案

国会に出され、農水省は これら四法案の一括審議を求めています。今 政府が基本法を改定しよう

とする狙いは どこにあるのか、そのことによって 何を狙っているのかを考えてみます。

 

◆ 経済成長を支える農業をつくる ― 農業基本法の時代

 

 「食料・農業・農村基本法(基本法)というは、この国の農業・農村、食料のあり方と、

そこに至る道筋を書いた理念法です。源流は 1961年に作られた農業基本法にあります。

 

 日本を揺るがしていた 戦後最大の民衆運動、日米安保条約改定反対運動がおさまり、安保改訂を

進めた岸信介内閣が 退陣、代わって登場した池田内閣によって 政策の柱を政治から経済に切り替えた

のが 1960年。 時代は 高度経済成長の時代に突入しました。経済の成長に合わせて 農業も効率化を

図り、余った農業労働力を都市、工業に引き寄せようという狙いで作られたのが農業基本法でした。

 この基本法の下で 農業の大規模化、専門化、機械化、化学化、施設化という、いわゆる農業近代化

をすすめることを目的としていました。

 

◆新自由主義への迎合と抵抗 ― WTO体制下の基本法

 

 それから 28年が経過した1999年、農業基本法は「食料・農業・農村基本法」に衣替えします。

その背後には 全てを グローバル化する新自由主義の流れがありました。国内農業だけをみていれば

よかった 旧基本法が 時代に流れに追いつけなくなったのです。

 1993年、ガットウルグアイ・ラウンド締結。1995年、WTO(世界貿易機関)発足と続く自由貿易

の流れに沿う 新しい政策理念が求められ、それを具体化したのは新基本法でした。

 

   当時の国際環境の元では、経済のグローバル化に対応するためには、農産物価格は 国際価格に対応

して 常に 引き下げなければならなくなります。同時に、割高な農業が 国内にある意味を 国民に納得

してもらわなければならないという課題を背負います.

 

 新基本法は、日本に農業が存在することの意味を問いかけることをめざしていたといえます。

その中身は  食料の安定供給環境保全など農業がもつ多面的機能の発揮農業の持続的な発展

の重視農業を支える農村の振興 ー などが柱でした。

   輸入農産物の安さに 少しでも抵抗して、国産振興の理由付けをさがす苦肉の中身づくりが透けて

見える内容でした。

 

 せっかく作った新基本法でしたが、成果は上がりませんでした農業の担い手の劣弱化が進み

食料自給率は下がり続けます。図は「農業構造動態調査」から農林水産省が作成したものですが、

日本の農業の中心的な担い手である基幹的農業従事者の年齢構成をみると、29歳以下の若者世代は

1%しかおらず、50歳代以下の働き盛りは 21%です。そして 70歳代以上が全体の半数以上の

57%を占めています。70歳以上といえば そろそろ引退という年齢層です。

   日本の農業は その年代の農民によって担われているのです。

 

 2020年から大流行が始まる新型コロナは この傾向に拍車をかけました需要減による農産物価格

に低落で 一挙に離農が進みました。生産者に手取り米価は 20年から22年産米にかけて、品種にも

よりますが 2割から 3割下がりました。まさに 暴落です。

  その価格水準は 1俵(60kg)玄米で 1万円前後。1俵の生産費は農水省の生産費調査で 1万5000円

ほどですから、1俵売るごとに コメ農民は 5000円の赤字になります。 農民の農業離れが 急拡大

します。(続く)