日本国家の無責任さは、ほんとうにシビレてしまう。

 

  ほんとうに、この国家は 民を粗末に扱う。

  そして、民は そういう国家を容認している。

 

  なぜなのか? 

  この国家の成立ちに、その原因があるだろう。

 

                  合掌

 

福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた…国が避難指示の解除を求める理由

        【著者に聞く】ジャーナリスト・日野行介が語る、原発の町と前町長の終わりなき戦い                                                         2024.4.27      JBpress (ジェイビープレス)

 

── この本は、2005年12月8日から2013年2月12日まで、福島県双葉町の町長を務めた

       井戸川克隆氏について書かれています。井戸川さんとは どのような人物でしょうか?

 

日野行介氏(以下、日野): 井戸川さんは 双葉町の前町長で、2005年に町長に初当選しています。

     井戸川家は 双葉町ではかなりの名家で、井戸川さんが持っている土地の地図を見せてもらった

     ことがありますが、ものすごく広い土地を持っているので驚きました。

        思わず、「 お坊ちゃまが そのまま町長になったのかな 」と思うところですが、

     話を聞いていると、どうやらそうではありません。

       井戸川さんは 高校卒業後に 東京に出た後、井戸川家を継ぐため双葉町に戻り、水道工事の

     会社を立ち上げています。一度、その会社にも お邪魔したことがありますが、かなり大きな

     会社でした。

        双葉町は 福島第一原子力発電所のある町ですが、実は 財政的に潤っている町ではありません

     でした。井戸川さんが町長になった動機が、破産しかけていた双葉町を立て直すことだった

     のです。

 

──  原発の町というと、様々な補助金が出て裕福だという印象もありますが……。

 

日野 : 原発立地地域には「 電源三法交付金 」というものがあります。これは 電気料金から

     天引きという形で、原発がある自治体に 給付金を交付するものです。電力会社も 寄付金を

     出しています。

       ただ、交付金がもらえるために、体育館、図書館、市民ホールなどを建設して、原発立地地域

     は 箱物行政になりがちです。このため、一時的には 建設業者を中心に潤いますが、造れば造る

     ほど、やがて 維持費がかさんでいってしまう。

   市町村の主な原発財源は 固定資産税ですが、固定資産税は 15年で償却なので、増えていくこと

     はありません。このままでは 財政が持たないから「 新たに 原発を増設してほしい 」と 国に

     お願いする。井戸川さんが 町長になった頃の双葉町は そんな状態でした。

 

──   そのような状況の中で、東日本大震災が発生したのですね。

 

井戸川さんが 辞任を求められた背景

日野:  井戸川さんが 町長になった5年半後に、福島第一原発事故が発生しました。双葉町は 

     原発のある町ですから、翌日には 住民たちは避難を始めました。最初、双葉町から50キロほど

     離れた 川俣町まで避難しましたが、そこにも 放射能が来て、線量計が ふり切れました。

   市町村は、こういう時には 国や県の指示通りに行動するのが一般的です。ところが 井戸川さん

     は、福島県庁に行き、混乱している役所の様子を見て、「 これはアテにならない 」と判断

    しました。

       そして、自分で調べ、伝手を辿り、埼玉スーパーアリーナだったら 2000人ほど収容できる

  と知り、町民を引き連れて 埼玉に大移動しました。埼玉県知事や埼玉市長なども出迎えて、

    この時は 英雄として称えられました。埼玉県の加須市に 旧騎西高校という廃校になった高校の

    校舎が残っているのですが、交渉の末に、井戸川さんは そこに避難所と役場を移しました。

    そこを 一時的な拠点にして、国や県と今後について決めていく予定でした。汚染しているので

   「 1年や2年では福島に戻れない 」と井戸川さんは考えましたが、国と県は 除染や賠償など 

    ばかりの復興政策を 次々と打ち出して「 福島に戻って下さい 」と井戸川さんに迫っていきました。

 

  井戸川さんは 国の要求を拒否し続けましたが、国策に正面から「NO」と言う人は、お金や人に

    関することなどで 影響を受けます。真綿で首を締められるように追い詰められ、井戸川さんは、

    次第に 身動きが取れなくなっていきました。

  そして、事故から わずか2年足らずで、足元の町議会議員たちから 不信任案を叩きつけられ

    ました。「 なぜ 他の町と同じように賠償を受け入れないのだ 」と辞任を求められたのです。

   「 こんな形ばかりの賠償ではダメだ 」という井戸川さんの主張と、「 いいじゃないか、他の町

    はみんな受け入れているぞ 」「 他の町と同じようにやろうじゃないか 」という反対派の主張が

    ぶつかった結果、2期目の任期半ばの 2013年2月12日に、井戸川さんは、町長を辞任しました。

 

──  井戸川さんが、国の対応が形ばかりだ と感じるのは なぜなのでしょうか?

 

日野:  大きく分けると 賠償と除染です。

「年間1ミリシーベルト」無意味な除染目標

日野:  まず 賠償に関していうと、この原発事故の賠償は、実は「 放射能の被害に対する賠償 」

     ではなく「 避難指示に対する賠償 」なのです。ということは、避難指示が解除されると、

     賠償も止まるということです。

     汚染はずっと続くのに、「 5年や6年足らずで打ち切られる賠償の仕組みを なぜ受け入れ

     なければならないのだ 」と 井戸川さんは反対している。これは 正論だと思います。

 

  次に、除染に関してですが、「 年間1ミリシーベルトの放射線量 」が本来の避難指示の基準です。

    でも、この放射線量の値を守っていたら、福島県中が 避難指示区域になってしまう。あるいは、

    福島県ばかりではなく、近隣の県まで 避難指示区域になってしまう。

  そこで、緊急時なので、この基準を「年間20ミリシーベルトの放射線量」まで引き上げるという

    政府の決定が 2011年4月に出されました。緊急時だから 基準値を引き上げた。ここまでは、

    まだ 理解できるところです。

  この避難措置を解除する時には、最初の「 年間1ミリシーベルトの放射線量 」という基準に戻す

    のが道理ですが、2011年12月に 野田政権が収束宣言を出した時に、政府は「 20ミリシーベルトを

    下回ったところを解除 」という、よく分からない方針を発表しました

 

  やがて、早期解除のため、実質的に 20ミリシーベルトを下回ることが除染の目標になったのです。

   「 長期的な目標は 1ミリシーベルト 」となっていますが、この「長期」には期限がないので、

    無意味な目標になっている印象があります。

  除染は、表面の土をはぎ取ることで、取った汚染土はフレコンバッグに詰めて、中間貯蔵施設に

    運ばれます。では、その中間貯蔵施設は どこなのかというと、福島第一原発のある双葉町と大熊町

    です。

 「 双葉町は そんなものを受け入れるいわれはない 」「 そんなものを受け入れたら帰れなくなる 」

   と井戸川さんは 訴え続けましたが、政治家、官僚、福島県知事などが 井戸川さんを説得して

   追い詰めていきました。これが、事故が起きてから町長を辞めるまでの井戸川さんの孤独な闘い

   です。

 

──  双葉町の汚染は どのような状況なのでしょうか?

国が 避難指示の解除を求める理由

日野:  双葉町と大熊町は 福島第一原発のあるところなので、汚染の状態は 最も深刻です。

  放射線量の高さに応じて「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」という

    3つの区分がありますが、「帰還困難区域」とは「戻れない」という意味です。その区域の土地や

    建物の価値がゼロであるという状態です。双葉町は 全体の96%が 帰還困難区域と判断されました。

 

 やがて、一部は 除染して避難指示解除が出ました。除染して避難指示を解除した区域を

     「特定復興再生拠点区域」と呼びます。現在、井戸川さんの双葉町のご自宅がある場所は、

      中間貯蔵施設の用地内です。ここは いまだに 帰還困難区域です。

 

──  そのような状況にもかかわらず、国は 避難解除をして「 皆さん帰還してください 」と

      言っているのですか?

 

日野:  いえ。国は「 避難指示を解除させてください 」とだけ言っています。避難指示を解除したら、

      賠償は打ち切られるし、避難している方々にも 税金がかかってくる。ですから、今のような状況

      では、避難している人たちは 解除されては困るのです。

     「 なぜ汚染しているところに帰らなければならないのか 」ということです。でも、国は

     「 帰りたい人もいますから 」という説明を繰り返してきました。

       この状況が 一昨年まで続いていました。本当に 国は 住民に戻ってほしいと思っているか

      というと、私は懐疑的です。

 

──   つまり、避難指示を解除して賠償はやめたいけれど、本当に帰るべきかどうかは明言しない。

 

日野:   そうです。「 帰れとは言っていない 」という表現です。とにかく 避難指示を早く解除

      したい。避難指示の対象の方々が、その後 どこに行こうが、戻ろうが、その部分に関しては

      関心がない。

 

大バッシングにつながった「美味しんぼ騒動」

──   井戸川さんは 埼玉県加須市に「東電原発事故研究所」を構え、毎月第一金曜日に

     「双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会」という集まりを開いてきました。この他に 毎年、総会

      や学習会なども行っている と書かれています。

 

日野:  井戸川さんが 双葉町の町長を辞任した後に、双葉町、大熊町、福島県が、中間貯蔵施設を

      自分たちのところに作ることを受け入れました。この直後の、2014年9月に、井戸川さんは    

  「双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会」を立ち上げました。

 

   私は 最初、この協議会は 中間貯蔵施設受け入れの反対派の集まりだと思っていました。     

     ところが、井戸川さんの話を聞いている内に、そうではないことが分かってきました。

  この集まりは、町民が ここで勉強して、それぞれが 政府と闘えるようになることを目的にして

     いるのです。「みんなで一緒に闘う」という発想ではなく、「 みんな知識を付けて、それぞれ

     が闘え 」という考え方です。

 

     ただ、ここに集まっている方々は 高齢の方が多い。井戸川さんは 77歳ですが、集まっている

     のも同年代くらいの方々です。一番若い参加者でも 60代で、なかなか熱心に勉強をするという

     雰囲気にはなりません。

     ところが、なぜか 10年にわたって この会は続いてきました。不思議ですね。コロナ禍の集まり

     は中断していたのですが、コロナ後も 再び集まっている。全体では 40人ほどいますが、毎回

     会に集まるのは 実質10人ほど。私が この集まりに参加するようになったのは 5年前くらいから

     です。

 

──  この集まりには ゴールはあるのですか?

 

日野:  ないと思いますね。熱心に勉強するという気配は もはや失われています。「 参加者たちの

     モチベーションは何なのだろう 」というのが、私にとっては 疑問でもあります。

 

──  福島第一原発事故の時に、独自の判断で 町民を大移動させてヒーローとなった井戸川さんは、

     その後、ある出来事をキッカケに、日本中から バッシングを受けるようになります。

     何があったのでしょうか?

 

日野:  双葉町から加須市に 町民を連れてきた時は、旧約聖書でイスラエルの民を率いたモーセ

     さながらの英雄として メディアで語られました。ただ、町長を辞めて 1年ほど経った2014年4月

     に「美味しんぼ騒動」というものが起きました(※)。

            ※美味しんぼ騒動: 2014年4月28日発売の「週刊ビックコミックスピリッツ」(小学館)で、連載中の

             マンガ「美味しんぼ」の主人公が 福島第一原子力発電所を訪れ、後に鼻血を出し、双葉町の井戸川克隆・

             前町長が「 福島では同じ症状の人が大勢いる。言わないだけ 」と語る場面が描かれた。その後、風評被害

             につながると批判が相次いだ。

 

──  これは「美味しんぼ」の作者が 井戸川さんと会って話をして、その時に井戸川さんが言った

      ことを そのままマンガに描いた。そうしたら、「デマを言うな」という批判の声が大きくなった

      騒動です。でも、井戸川さんは デマを言ったつもりはない という話ですよね。

 

井戸川氏は 何を成し遂げようとしているのか?

日野:   そうです。デマを言ったつもりがないどころか、井戸川さんの言葉をそのまま引用すると、

     「 なんで、人の身体のことを見てもいないやつに言われなければならないのだ 」ということです。

    ところが、安倍首相(当時)まで「 非科学的なことを言わないでください 」と、井戸川さんを

      批判しました。こうしたことがあり、英雄から一気に咎人扱いになり、井戸川さんはマスメディア

      に登場しなくなります。本人が 出たくなくなったのではなく、「取扱注意」の人物になり、

      お声がかからなくなったのです。

       加須に 町民を連れて行って 英雄扱いされた時も、美味しんぼ騒動の時も、井戸川さんの姿勢

      や意見は変わっていません。世間が 180°変わっただけで、彼のやっていることは 全くブレて

      いません。

 

──   井戸川さんは、最終的に 何を成し遂げようとしているのでしょうか?

 

日野:  自分の正義を貫き通そうとしているのだ と思います。放射能の長い時間軸を考えると、

      あそこを完全に除染して、町民が みんな戻るということは 現実的ではないと思います。

      だけど、「 俺は戻らないなんて 言ってないぞ 」というのが 井戸川さんの主張です。

       国の帰還政策は 名ばかりで、実際には「 どこへなりとも行け 」という棄民政策です。

      でも、そうではないだろう。避難指示を出したのだから「 ちゃんと責任を取り、この政策は誤り

      だったと認めろ 」と戦い続けているのです。

   一つ分からないのは、井戸川さんが なぜ、まわりにいる双葉町の人々を見捨てないのか

      ということです。自分の戦いを完遂することだけを目的にしているのなら、勉強会をする時間は

      無駄です。勉強会をしたからといって、町民たちが立ち上がって闘おうとしているかというと、

      そんなことはありませんから。

   井戸川さんは、双葉町の長(おさ)であることも やめられず、1人の闘士であることも 

      やめられない。矛盾した 2つの存在意義を呑み込んでいる怪物なのだと思います。

    2012年に 最初に井戸川さんと知り合ってから、「 この人はどう定義したらいいのか分からない 」

      という感想を ずっと抱いてきました。 だから、10年間も 取材を続けることになったのだと

      思います。