不正をし、ウソ偽りを言わねばならない成り立たないのが、

 原子力事業である。

 

 国民・国家に対する詐欺行為を、

 公然として許しているのが、日本国家である。

 

                  合掌

 

 

原子力産業、問題の根源を断罪

  旧動燃内部の差別的処遇めぐる裁判で元職員ら一部勝訴

          稲垣美穂子・フリーランスライター

             2024年4月18      週刊金曜日オンライン 

 旧「動力炉・核燃料開発事業団」(動燃)の元職員らが 2015年7月、個人の思想や信条に着目

した 不当かつ差別的人事処遇などを受けたとして、動燃を後継する国立研究開発法人 日本原子力

研究開発機構(以下、機構)を相手に起こした損害賠償請求訴訟の判決が 3月14日にあった。

   水戸地裁(廣澤諭裁判長)は 原告の元職員(当初4人。後に2人追加)について、提訴前3年以内

の損害に限定したうえで 差別があったと認定。約4700万円を原告の元職員5人に支払うよう

命じた( 退職が早かった原告1人については 賠償請求権の時効を理由に棄却 )。

 

   元職員らは 突然 裁判を起こしたわけではなかった。動燃では 1974年に再処理工場内で発生

した転落死亡事故をめぐって 労働組合がストライキを行なうなど、職員の間からも安全性を求める声

が上がっていた。原告らも 被曝しないための勉強などを、それぞれ 労組を通じて熱心に推進。

   76年に 動燃労組中央執行委員長だった円道正三氏が 動燃所在地である茨城県東海村の村議会議員

選挙に立候補した際には 同氏を応援したほか、内部の不正に抗議したりしたことから、動燃からは

非良識派」として敵視されるようになった。

 

 たとえば 本来みなプルトニウム等の放射線を取り扱う技術職だった原告らが 枢要業務から外され

たり、業務に必要な研修の機会を与えられなかったり、洗濯係などの雑務や、人形峠(岡山県)の

事務所に飛ばされたまま 定年まで 30年前後留め置かれたりもした。

職位も一定に据え置かれ 昇級も止められ、同期や同学歴の職員との比較で 退職時までに約3000万円

の賃金格差も発生。

 2005年には、有志数人が それぞれ所属部署の部長や課長に不当な処遇を是正するよう要望書を

提出したが、機構側は「差別の事実はない」として応じなかった。

 

 ところが 13年8月、『原子力ムラの陰謀』が発刊され、高速増殖炉「もんじゅ」での1995年

の事故の調査中に亡くなった西村成生さん(当時動燃本社の総務部次長。自殺と報道)の自宅から、

当時の動燃警察や公安と連携のうえで 組織的に思想弾圧や差別・選別、懐柔工作等を行なっていた

実態を克明に記した資料(西村資料)が大量に発見されたことが明らかに。

   これを受けた機構の労組は 機構に対し 差別処遇の是正とそれまでの損害を補償するよう要求。

しかし 機構が「 調査したが差別の事実は見えなかった 」と対応しなかったことから裁判が始まった。

 

認められた「西村資料」

 裁判では 動燃による差別政策と昇級差別の有無、その真偽の根拠となるべき西村資料の認定が

主要な争点となった。同資料について機構は「 誰によって、いかなる目的で作成したかが不明であり、

一担当者が 個人的に記した手控え 又はメモの類 」「 意図的な改変が加えられた可能性 」などを

主張したが、裁判所は「 極めて詳細かつ正確 」な情報が多く「 記載されている異動案の多くが実施

されている 」ことなどから信憑性を認め、動燃による差別政策を認定した。

 

 判決後の報告集会で 原告弁護団の平井哲史事務局長は「 西村資料に基づいて 旧動燃による

差別政策を しっかりと認定していただいた点については高く評価をしたい 」としつつ、賠償の

対象期間が 提訴前の3年以内に限定されたことや、その消滅時効により棄却された部分については

「 再度見直して頂いて 旧動燃に償わせる判決を 」として、控訴する方針を示した。

   原告らは、差別が組織的に行なわれたと 裁判所が明確に認めたことや、当初 被告側が「不知」

としていた西村資料が証拠として認定されたことへの喜びを語った。

 

 機構は 翌15日に控訴。取材に対し「 機構として申し上げることはない 」とし、控訴理由については

「 今後 裁判の中で説明させていただきたい 」と繰り返すのみだった。

 原告の支援者らは、発言抑制や差別が横行する環境が「もんじゅ」の失敗、さらには 東京電力の

福島原発事故にも密接に関連していると指摘する。闘いの舞台は 今後、東京高裁に移る。

 

 

 

 司法が、行政に忖度する図。

 これは、司法の 行政への越権行為である。

 

 司法は、行政の防波堤ではないし、

 国民主権の守護が 司法の存在意義のはず。

 

             合掌

 

3・11避難者が 住宅退去訴訟で目黒区に敗訴 自己責任と切り捨てる判決

      西村仁美・ルポライター|2024年4月11日    週刊金曜日オンライン

  東日本大震災の津波被災者が、出身地の宮城県による住宅供与の打ち切りに伴い、避難先の東京

・目黒区にある応急仮設住宅の明け渡しと、家賃相当額を含む 損害賠償を同区から求められた裁判

(本誌1月12日号既報)の判決が3月25日にあった。

   東京地裁(金澤秀樹裁判長)は 区側の主張を全面的に認め、被告の友田美津子さん(仮名・70歳)

に約820万円を支払うよう命じる判決を言い渡した。

   友田さんは2011年3月11日の地震による津波で気仙沼市内の自宅と経営していた店舗を失い、

病身の夫とともに東京都へ避難。気仙沼市の紹介で、同市と友好都市協定を結んでいる目黒区の

「みなし応急仮設住宅」(民間住宅の転用。以下、応急住宅)に藁をもつかむ思いで避難した。

以後 約7年の応急住宅生活中に病状が悪化した夫は 18年10月に死去。前年には 宮城県の住宅供与

打切り話を受けた目黒区より退去を求められていたが、経済的な苦境もあり、期限の18年3月末まで

に退去できる状態ではなかった。

 にもかかわらず 目黒区は そんな友田さんに まともな支援も行なわないまま、裁判で退去を強いる

手段に打って出た。21年6月、青木英二区長による訴訟提起議案が、友田さん本人への聴取もない

まま 区議会にて全会一致で可決。翌月には 住居の明け渡しと家賃(月額19万2500円)滞納分を

含めた額を求めて東京地裁に提訴した。

 今回の判決言い渡しでは 法廷に裁判長の姿はなく、別の裁判官が主文を代読して終了

友田さんは 茫然自失の体で、ほぼ満席の傍聴席から「 は? 何それ? 」「 不当です。酷過ぎです 」

などの抗議の声が上がった。

 25日の夕刻から東京・永田町の参議院議員会館で開かれた記者会見と報告会でも、友田さん代理人

の山川幸生弁護士が「不当判決」と一刀両断のうえで 判決の問題点を逐一指摘した。

たとえば 目黒区が 友田さんに転居先の情報提供のチラシ4枚を郵送したことなどを判決理由で

「相応の支援措置」などと評価したほか、友田さんが 生活保護受給等によって 別の住居を確保する

などの手段を採らなかった点についても「 自らの判断で そのような方法を選択せず、本件建物への

無償居住の継続を希望した 」と、要するに 自己責任だと切り捨てている ―― と批判した。

 

自治体の「努力義務」とは

 報告会で 山川弁護士はさらに、判決が 被災者の権利権益を認めないことに加え、自治体の被災者

支援はそれぞれの裁量によるものであり、支援をやってもやらなくてもいいとして 被災者を切り捨てた

と指摘。しかも 本人に責任のない転居の件まで 本人の責任にしている …… と憤懣やる方なく語る。

 友田さん夫妻は 目黒区での避難生活中に 一度、16年9月頃には 区側が指定した別の応急住宅へ

と転居させられている。山川弁護士は、「 これは かなり劣悪で極端な自己責任論であり、考え得る

限りでの最低最悪な判決だ 」と述べる。

 被災者支援が 各自治体の裁量に委ねられるとの旨を言っているのも深刻だ。被災者の権利に関わる

最後の拠り所ともいうべき災害救助法第3条は「 都道府県知事 又は救助実施市の長 」について

「救助の万全を期するため」の「努力義務」を定めるが、これが 実質的には支援をしないことも

含めた各自治体の裁量問題に帰するとすれば「 『万全』が空文化する。被災者を切り捨てていい

とのメッセージを この判決は出してしまっている 」と山川弁護士は危惧する。

 続いて 発言した友田さんは判決について「 出て行けと言われても 出て行ける状況ではなかった 」

と涙ぐみ、声を絞り出すように思いを語った。支援団体「めぐろ被災者を支援する会」共同代表の

堀田栄喜さんも「 被災者に寄り添ってほしいとの思いから これまで区に対して陳情したり、区長にも

要請文を出したりしてきた。今後も支援を続けていきたい 」と語った。

 

 一方、目黒区は筆者の取材に、「 今は 控訴期間でもあり、現段階では答えられない 」と回答、

その後、友田さんは 控訴を検討中という。