地球上の氷河時代は、氷期(極に氷が存在する)と間氷期とに分かれる。
🔶現在の一つ前の間氷期の気候最適期は、
更新世(約258万年前~約1万1700年前)後期のエーム間氷期中の 131,000~114,000年前 。
この間、海面水準は 現在よりも約8m高く、北海の海水温は 現在より約2 °C高かった。
北グリーンランドでの土壌調査によると、最終間氷期が始まった12万6000年前頃が最も温暖で、
気温が 現在よりも 平均で約8℃±4℃高かったことが分かっている。
最後の氷期(最終氷期=ヴュルム氷期 約7万年前~)
少し寒さが緩む時期はあったが、今から 約2万3000年前には、日本列島でも 年平均気温は
今より約7℃低くなった。
植生に大きく変化し、特に、現在 関東から西に広く見られる照葉樹林は、
本州南岸のごく狭い地域と沖縄に分布を狭めていく。
この時期には、数十万立方kmとも推測される大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床
として積み重なった。海水を構成していた水分が蒸発して 降雪し陸上の氷となった。
地球上の海水量が減少した結果、海面変化が著しいところでは 約120mも低下した
ところもあり、その影響で 海岸線は 現在よりも相当分沖合に移動していた。
この海水準が 最も低下した時代、東南アジアでは 現在の浅い海が陸地になって「スンダランド」
を形成していた。アジアとアラスカの間には ベーリング陸橋が形成され、ここを通って 北米に
人類が移住したと信じられている。
日本列島およびその周辺では、海岸線の低下によって 北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続き
となっており、現在の瀬戸内海 や 東京湾も ほとんどが陸地であった。
また、東シナ海の大部分も 陸地となり、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり、
壱岐は 九州と陸続きとなり、対馬暖流の流入が止まったと言われる。
この影響もあり、日本列島は 現在より寒冷で、冬季の降雪量が少なかったと考えられ、
北海道では 永久凍土やツンドラ、標高の高い地域では 山岳氷河が発達し、針葉樹林は西日本まで
南下したと言われている。
日本列島の後期旧石器時代(約35,000年前~約15,000年前)
世界規模の寒冷化の影響で 海水面が低くなり、瀬戸内一帯は かなりの広さが 陸化しており、
その所々は広大な草原であって 象⊛などがその上を歩いていたのではないか、と考えられる。
⊛ ナウマンゾウ:日本列島に生息していたゾウの1種。
約34万年前に出現、寒冷期で陸橋が形成された約43 ~30万年前に渡来。
約2万年前頃から衰退し、約1万5000年前の新生代更新世後期まで生息していた。
※ 長野県上水内郡信濃町の野尻湖遺跡群の約4万年前の地層からナウマンゾウの
骨製品がまとまって発見されている。瀬戸内海各地で 海底にあるナウマンゾウ
の化石が、網にかかって漁師等に引き上げられている。
🔶現在の間氷期(完新世)の気候最適期
アトランティック期(9000年前~5000年前当)
サブボレアル期(5000年前~2500年前)
この最終氷期が終わり、温暖化が始まったが、今から 1万2800年頃~1万1500年前頃
北半球の高緯度地方のイングランドなどを中心に寒冷化の揺り戻し(ヤンガードリアス期)
があった。その影響は、軽微ながら日本列島にも及んだとされる。
約1万2000年前の最終氷期の終り頃に、欧州が温暖化して アジアが寒冷化したともいう。
約1万年前からは、この列島の気候は、温暖化に向かう。
コナラ、クリ、クヌギを主体とした落葉広葉樹林が西日本から東日本を覆うようになった。
再び 地球温暖化が進み出し、縄文時代になり、少なくとも 今から6000年前位からは、
温暖化による海水面の上昇がみられるようになり(縄文海進)、その最盛期には,
日本列島の津々浦々、海外線の至るところで、現在の平野部の奥深くまで海水が入り込んだ。
縄文草創期から前期(1万3000年前~6000年前)に、日本列島は 100m以上もの
海面上昇を経験し、約6000年前には 海面が 現在より 4~5m高く、海岸部の遺跡の分布を
考える上で参考になる。 この頃は、現在より平均気温が 1~2℃ 高かった。
現在の瀬戸内海周辺も、倉敷市の市域の北半を中心とする付近には、瀬戸内海とつながる
細長い内海が東西に広がっており、その南の先の海の中に「児島」という島が浮かんでいた。
当時の瀬戸内海は 魚貝類の繁殖する海域であり、かつ 温かかったことから、人々が住みやすい
環境であった。