ウクライナ侵攻、危機の本質  

 「ウクライナ敗戦」を世界大戦へ拡大させるな 

    ロシア 「ゲラシモフ・ドクトリン」による戦争の結末 

             的場 昭弘     2024/01/20 東洋経済オンライン

 2023年末からロシアによる、ウクライナの主要都市へのミサイル攻撃が激しさを増している

毎日のように ロシアからミサイルが発射されている。それも、超音速からドローンまで 多種多様

である。しかし、不思議なことに 都市の住民の建物を 尽く破壊したという話はあまり聞かない。

ロシアは 住宅への直接攻撃を避けているのだ。

   一方、ウクライナのドローン攻撃も 2023年12月30日にあった。ウクライナの北の国境から

30キロメートル先にある都市ベルゴロドへの攻撃だ。このドローンは 軍事施設やインフレを

狙ったものではなく、町の広場を狙ったものであった。市民の犠牲者も出た。

 

目立つロシア軍の冷静さ

   しかし、ロシアは これに対して、報復攻撃として 住宅への攻撃はできるかぎり避けている。

ひたすら 軍事施設とインフラ攻撃を繰り返している。それは なぜか。

   ここで理解しておかねばならないのは、ロシア軍の冷静さである。あたかも 何年も前に計画された

行動にしたがって 沈着に行動しているようだ。ある意味、報復をするような感情の起伏があっても

いい。しかし、それを持たない 極めて冷徹な反応は、恐るべし というべきかもしれない。

 

   これについて スイス陸軍の元大佐であるジャック・ボー(Jacques Baud)は『 戦争と平和の

狭間のウクライナ 』(Ukraine entre Guerre et Paix, Max Milo, 2023)の中で、このロシア軍

の冷静な行動について分析している。

    ロシアは 周到に作戦を立てて行動しているという。1つひとつの軍事行動が全体の行動と、

そして その後の戦略と しっかりと結びついているというのだ。これをハイブリッド戦略というようだ。

 

   例えば 2022年の開戦当初、ロシア軍は キエフ(キーウ)の北、ハリコフ(ハルキウ)の近郊など、

大きな軍事作戦を展開した。しかし、同年9月には すべて撤退し、ドンバスからザポロージャ

(ザポリージャ)とヘルソンのドニエプル川左岸地域に軍を引き、国境線を固めた。

   この戦いを ウクライナは勝利だと喧伝したのだが、ボーによるとそうではない という。

それは ロシアの行動が 最初から、ウクライナの東のロシア人地域を占領するという計画であったから

である。キエフやハリコフ近郊への攻撃は、あくまでも 陽動作戦であったというわけだ。

   キエフは 6万人以上の精鋭部隊で固められている。そのほかの都市も同じだ。こうした軍が東へ

投入されると、当時のロシア軍の兵力 15万人程度では 目的が貫徹できない。だから、ウクライナ

全土に攻撃をかけて、ウクライナ軍の東部への投入を避けたというものだ。

 

アフガン紛争での教訓

   ロシアは、ソビエト時代のアフガニスタン攻撃で 痛い目に遭っている。それは、アメリカが 北爆

や中東での戦争で繰り返したように、絨毯爆撃を行い、多くの市民を殺戮し、アフガン人の反感を

買い、それ以降の戦線で 相次ぐゲリラ攻撃で守勢にたたされ、敗北したという苦い経験だ。

   こうした経験から ロシアは、市民への直接攻撃は避け、攻撃目標は 当面のみならず、背後にある

銃後のインフラ設備にターゲットを絞っているという。 インフラとは、軍事施設、飛行場、

迎撃システム、レーダーなどの情報施設、橋や道路や鉄道などの兵站設備である。

 

   確かに イスラエルのガザ攻撃を見ても(もちろん ガザからのイスラエルの攻撃を見ても)、

市民への攻撃は 国際法違反というだけでなく、人々の憎悪をかきたて、復讐の連鎖を生み出す。

破壊されることによる 見かけの打撃は大きいが、こうした攻撃は 末代までの怨念を生み出す。

インフラ攻撃は、ボクシングのボディブローに似ている。間接的ではあるが、次第次第に相手を消耗

させ相手の動きがとまる。考え方によっては、残酷な攻撃だ。真綿でじわじわと締め付ける方法だ。

最終的に根をあげたところで 勝利する作戦ともいえる。こうした ロシアの攻撃は、ゲラシモフ将軍

の理論から来ているという。

   通称「ゲラシモフ・ドクトリン」と呼ばれる作戦は、まさに この消耗戦である。西側の軍隊は

これまで 比較的軍事的に弱い地域と戦争をしてきたこと、また 西側から見て殺戮もやむなしという

人種的偏見をもっていた地域が対象だったこともあり、直接攻撃を展開してもいた。

それが可能だったのは、相手の抵抗が少なかったからである。しかし、近代的軍をもっていて、

軍備において さほど差がない国同士では、周到な作戦と、相手の兵力を削ぐという作戦をしないと、

大量の死者を出すことになる。

    ゲラシモフという名は、2023年10月に ウクライナのゼレンスキー大統領と停戦交渉に入った

のではないかという噂や、最近の攻撃で戦死したのではないか とウクライナ筋の情報で噂される

ロシア軍のナンバー2である。

 

作戦要綱「ゲラシモフ・ドクトリン」

    ゲラシモフは、「ゲラシモフ・ドクトリン」という作戦要綱を2013年に発表している。これは

2006年に『ミリタリー・レビュー』に翻訳されていて、ネットで 誰でも読める。

そこで こう述べている。

  〈 戦争のルールそのものが変わった。政治や戦略的目標を完遂する非軍事的手段の役割が増大し、

    多くの場合、その効果において 武器の力の威力を、凌駕しているのである。適用される紛争の

    方法の焦点が、政治、経済、情報、人事、その他の非軍事的手段 ― 人々の抗議のポテンシャル

    と歩調を合わせて適用される ― を広く使うという方向へシフトしたのである 〉(24ページ)。

 

 まさに これは、クラウゼヴィッツの『戦争論』の有名な定義、「 戦争は政治の延長である 」

という言葉を体現したもので、とりわけ 新しいものではない。しかも、こうした戦略が どこから

生まれたかというと、1991年のアメリカの湾岸戦争からだというから、むしろ 戦略のヒントは

アメリカから来ているといえる。

 

  情報技術の進展で、戦争の遂行は 極めて間断のない決定を強いられる時代になっていて、

そのためには 前線での戦闘以上に、中央司令部での 広範な戦略が重要になっているという。

だから 前線の戦闘能力もさることながら、そこに至る 中央の戦略の持つ意味が大きい。そして、

戦争に勝利するには、非対称的に「 敵の利点を徹底的に無力化 」することだという。

 

  まさに その無力化ということが、インフラ設備への徹底攻撃だということになる。そして それを

遂行するために、AIを使った科学戦略があげられている。AI技術の導入という点で、ロボット

による 戦争遂行や宇宙戦争という問題も ゲラシモフはあげている。 

   しかし、それ以上に重要なことは 経済と外交であろう。ゲラシモフは 軍人らしく、この問題には

ほとんど触れていない。

ただ、軍事力だけではない ハイブリッド戦争の遂行は、まさに この経済と政治、とりわけ外交に

かかっているともいえる。経済と政治、この点における ロシアの この2年間の行動は、これまでの

戦争のときとかなり異なっている。

 

ロシア外交の奮闘ぶり

   NATO(北大西洋条約機構)諸国の経済封鎖による圧力を避けるために、ロシアの外交活動には

目覚ましいものがあった。ロシアのラブロフ外相が 世界中あちこちと飛び回り、NATOに敵対的な

国家を 自らの陣営に引きずり込んだ。

   なおかつ 国際貿易を ドルやユーロによらない決済制度に変えることで 経済的制裁を回避し、

友好国 とりわけ BRICS体制を強化することで「 孤立したロシア 」というイメージを払拭していった。

 

   NATO諸国が得意とするところは 軍事力だけではなく、その経済力と政治力にあったのだが、

ロシアは その1つ経済制裁と経済封鎖を、友好国を拡大することで 切り抜けている。また

「国際的価値基準」という名の西側の政治を「多様な価値観」という発想で切り抜けようとしている。

   戦争が アジア・アフリカの 反NATO勢力の支持を得ることで展開されれば、ウクライナ戦争は

欧米 対 反欧米という対立の戦争となる。 当然、ウクライナの局地的戦争という枠を越えてしまう。

ゲラシモフ・ドクトリンの気になるところが そこにある。

 

   戦争の当面の目的は ウクライナにあるとしても、それは ウクライナに勝利するためにNATO勢力

と 真っ向から対抗することを意味しているからだ。ゲラシモフ・ドクトリンが NATOにとって脅威

である理由は、まさにここだ。

 

   要するに、このドクトリンから言えることは、ウクライナ戦争は、ロシアにとっても またNATO

にとっても、もはや 東欧の局地的戦争ではなくなっているということである。それが この戦争を

長引かせている原因でもある。

   そして この戦争は、NATOと対抗する紛争地域への導火線となり、対立する両陣営が一触即発で

第3次世界大戦まで至る 不気味な可能性を秘めていることである。

ウクライナへの攻撃は、前線での戦争だけでなく、ウクライナ全土のインフラ設備の破壊であった。

それは ウクライナ経済を壊滅状態に 今追い込んでいる。

 

NATOが苦しむ ブーメラン効果

   また ウクライナに 武器や援助を与えた NATO諸国も、その結果 自らが行った経済制裁や援助の

ブーメラン現象を受け、経済的に息切れを起こし 景気の衰退が生まれている。それが NATO諸国の

不安を いっそうかきたて、ロシアへの脅威を増幅させているともいえる。

  そして、それが ますます 停戦を困難にさせ、戦争を迷走経路に導き、引くに引かれぬ戦いの場

となっている。前出の ジャック・ボーは、先の書物で ウクライナとロシアのプロパガンダの違いを

指摘している。

 

   ウクライナは 虚偽の情報を流しロシアは 不利な情報を隠す。 ともに プロパガンダだが、

内容は異なる。もっぱら ウクライナの情報に従っている NATO諸国は、この情報によって この戦争

に簡単に勝利できるものだと 支援を強化したが、それが 真実ではなかったことで、大混乱に陥って

いるというわけだ。

   戦争中の日本のように、うその情報が出てくると、それを払拭するのは簡単ではない。ロシアの

残虐性や非道性への非難が拡大するだけで、戦況や相手の意図が わからなくなる。

   ロシアは ロシアで、情報が入らないことで、相手の言い分が入ってこない。国民は いたずらに

勝利に向かって 愛国心を燃やすだけである。

   要するに、停戦を生み出す理解が お互いに得られなくなっているのだ。戦争が終われば、両国民

さらには 世界が、この戦争の現実を しっかりと知ることになるだろう。だが、今のところ

プロパガンダに振り回され、敵意をむき出しにして、終わるところを知らない。

 

   ウクライナに限っていえば、戦争の決着は すでについているといえる。後は、第3次世界大戦

という愚かな戦争へ至らないための 政治的決着を どうするかが残っているだけなのだ。