孟子

離婁(リロウ)章句上

 

【現代語訳】

 

 孟子曰く。『 離婁⊛¹のように 人並優れた視力があっても、公輸子⊛²のように

 いくら手が器用でも、規矩(物差しとコンパス)がなければ、四角も円も描けない。

 師廣(しこう)のように 優れた耳があっても、六律という調律に依らなければ、

 五つの音階(宮・商・角・徴・羽)を正確に演奏することはできない。

   ⊛¹ 離婁(りろう):中国古代、黄帝の時代のたいへん視力のすぐれた人の名。

     ⊛²  公輸子 - Wikipedia

 の正しい道も、仁政をもって行わなければ、天下を平穏に治めることは

 できない。今、仁愛の心を持っていて、天下に 仁愛の君子としての名声が

   聴こえていながら、人民は その恩恵を得られず、後世の模範となれないのは、

 先王の仁政の道を行わないからである。

 

  だから、ただ たんなる善意だけで りっぱな政治はできないし、

 心のこもらぬ形ばかりの制度では 実際の効果はあがらぬものだ 。
  『詩経』も、「 誤ることなく、忘れることなく、先王の遺法に従って行え 」と。

 先王の道に従って、過ちを犯した者は いまだ一人もない。

   聖人は 自らの視力を尽くして、規矩準縄(物差し・コンパス・墨縄)を使うので、

 完全な正方形・円・平面・直線を描くことができる。聴覚の限りを尽くし、

 六律の調律に依るので、五音の音階を 正確に演奏することができるのだ。

 聖人は  自らの心の限りを尽くし、惻隠の情をもって 政治に当たるので、

 その人民を思う仁愛が 天下を覆って隅々まで行きわたった。

 

 故に「 高台の設営には 丘陵を選び、湖を造るには 川や沢を選ぶ」と昔から言う。

 政治を為すのに 先王の道によらないなら、どうして知恵者と言えよう。

 このように、仁者こそ 高位にあるべきなのである

 仁徳のない者が高位におると、結局 害悪を天下の民衆に播き散らすことになる


   上の者が 道理をもって判断することなく、下の者は 法を守らず、政治の場では 

 道理を信用せず、民間は 法律を信ぜず、君子は 正義に背き、庶民は 犯罪を犯す。

 それでもなお、国家が滅ばずに済むとすれば、それこそ僥倖であろう。

 

    だから、城郭が完備せず、武器・甲冑が不足なのは、国家の災難ではない。

 田畑が開墾されず、財貨がたくさん集らないのは、必ずしも 国家の災害ではない。

   上の者に礼義がなく、下の者に教育がなくて 道義を知らなければ、 その結果は 

 暴民の反乱が群り起きて、忽ち 国家は滅亡してしまうだろう。

 『詩経』にも「 天は まさに 室を覆そうとしている。周の群臣よ、泄々(エイエイ

 としている時ではないぞ 」と。 泄々とは、沓々(トウトウ ぺちゃくちゃ駄弁を弄す

 ということである。

 主君に仕えて義なく、出処進退に礼を欠き、口を開けば 先王の道を誹謗する輩は、

 この 沓沓というものだ。故に言う。「 困難な先王の道を 主君に責め望むのは、 

 これを まことの恭といい、正しい意見を述べて その間違いを封ずるのは、これを

 まことの敬といい、(これに反して) わが主君には とうていダメだと見限って 

 善政を勧めないのは まことの賊というものだ。 」と。

 

 

【書き下し文】

 孟子曰く、離婁(リロウ)の明公輸子も、規矩(キク)を以てせざれば、方員す はず。

 師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音す はず。

   堯舜も、仁政を以てせざれば、天下平治する はず。今 仁心仁聞ありて、して

 民其の沢らず、後世にとすべからざるは、先王を行はざればなり。

 故に曰く、徒善は 以て を為すにらず、徒法は 以て ら行ふ能はず。

 詩に云ふ、らずれず、旧率由すと。

 先王遵(シタガ)ひ、而して 過(アヤマ)は だ 之(コ)れ有らざるなり。

 聖人 既に 目力し、之れに継ぐに 規矩準縄を以てす。以て 方員平直を為る。

 用ふるに勝(タ)ふべからざるなり。に 耳力し、之れに 継ぐに六律を以てし、五す。

 用ふるにふべからざるなり。既に 心思を竭し、之に継ぐに 人に忍びざるの政を以てす。

 而して 仁 天下ふ。故に 曰く、を為さば 必ず丘陵る。を為さば 必ず川沢る。

 政を為して 先王の道にらざれば、謂(イ)ふ可けんや。

 是を以て 惟(タダ) 仁者は、宜(ヨロシク)しく 高位るべし。不仁にして 高位に在るは、

 是(コレ)れ 其(ソノ)するなり上 道揆なきなり、下 法守なきなり。

 朝は ぜず、は ぜず、君子 し、小人 を犯し、国の存する所の者はなり。

 故に曰く、城郭 完からず、兵甲 からざるは、国に非ざるなり。田野 けず、

 貨財聚らざるは、国のに非ざるなり。上 礼なく 下 学なければ、賊民 り、ぶることなけん。

 詩に曰ふ、の く、く 泄泄するかれと。泄泄は 沓沓のごときなり。

 君にへて なく、進退 礼なく、言へば 則ち 先王の道をは、猶ほ 沓沓のごときなり。

 故に曰く、きを むる、れを と謂ふ。べ づる、之れをふ。

 吾 君能はずと、之れを ふ。

 

【原文】
 孟子曰:離婁之明,公輸子之巧,不以規矩,不能成方員。師曠之聰,不以六律,不能正五音。

堯舜之道,不以仁政,不能平治天下。今有仁心仁聞而民不被其澤,不可法於後世者,不行先王之道也。

故曰:徒善不足以爲政,徒法不能以自行。《詩》云:『不愆不忘,率由舊章。』遵先王之法而過者,

未之有也。聖人既竭目力焉,繼之以規矩準繩,以爲方員平直,不可勝用也。既竭耳力焉,

繼之以六律正五音,不可勝用也。既竭心思焉,繼之以不忍人之政而仁覆天下矣。

故曰:爲高必因丘陵,爲下必因川澤。爲政不因先王之道,可謂智乎?是以惟仁者宜在高位。

不仁而在高位,是播其惡於衆也上無道揆也,下無法守也;

朝不信道,工不信度;君子犯義,小人犯刑,國之所存者幸也。

故曰:城郭不完,兵甲不多,非國之災也。田野不辟,貨財不聚,非國之害也。

上無禮,下無學,賊民興,喪無日矣。《詩》曰:『天之方蹶,無然泄泄。』泄泄猶沓沓也。

事君無義,進退無禮,言則非先王之道者,猶沓沓也。

故曰:責難於君謂之恭,陳善閉邪謂之敬,吾君不能謂之賊。