【ワシントン報告(12)駐米大使】

米国務長官から面前で激怒された駐米大使も…その役割とは? 

中台も関係構築に腐心、経験者「人間関係が仕事の8割」

            2024/01/20     47NEWS

  昨年末にかけ 日本の駐米大使が交代した。「日米関係は外交の基軸」(岸田文雄首相)であり、

   大使が担う責任は重い。 冨田浩司前大使は 昨年11月にワシントンを離れる際、

  「人間関係が 仕事の8割」と語った。米国の関心が 台湾海峡に向く今、中国と台湾の代表も

   対米関係には腐心している。各国大使は 本国の意思と指示に基づいて行動する。できることに

   限界はあるが、それでも 人によって 米国への食い込み方に差は生じる。個性も重要である。

                                                              (共同通信ワシントン支局長 堀越豊裕)

 ▽ 対立時は大変

 ワシントン北西部の一角に 白壁の豪勢な日本大使公邸がある。昨年11月下旬。冨田氏は離任前

日本メディアとの昼食会で、和食に手を伸ばしながら「 大使とは引き継がれ、引き継いでいく仕事 」

と3年弱の任期を総括した。

   江戸末期の黒船来航以来、日米関係は 良いときも 悪いときもあった。米中関係悪化の裏返し

という面はあるが、今のように 日米が良い場合は仕事がしやすい。対立する時は 大変だ。


 真珠湾攻撃の前に 手渡すべき最後通告が遅れた 当時の野村吉三郎大使は、出向いた国務省で

ハル国務長官から「かくのごとく偽りと歪曲に満ちた公文書を見たことがない」と面前で激怒された。
 太平洋戦争に至るまで、野村大使は ルーズベルト大統領と何度となく会談を重ね、戦争回避を

模索した。大使レベルで 米大統領と会談するのは容易でない。海軍武官として ワシントンに

以前赴任した際、ルーズベルト氏が海軍次官だったため、個人的に親しい関係を築いていた。

回顧録で「 大いに努力はしたが、内外の大勢上いかんともなしがたく、国交調節は不成功に終わった」

と無念さを表した。

▽各国が苦労

 大使というと 華やかな社交を思い浮かべがちだが、冨田氏は 必ずしも口数が多いタイプではない。

ワシントンが長い邦人からは「 話の取っかかりが難しい 」との声も聞いた。
 それでも「 仕事には厳しいが、任せて細かくは言わない人 」(複数の大使館幹部)と信頼が厚く、

メディアにも誠実に対応した。ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)でインド太平洋調整官

を務めるカート・キャンベル氏ら 知日派との関係を軸に任期を乗り切った。

 

   超大国米国との関係づくりは 各国とも非常に重要だ。大使は その最前線にいる。日本は恵まれて

いる方だろう。先進7カ国(G7)の一角を占め、国際的に 指折りの経済規模を持つ。

軍事的には 同盟関係だ。大使も 有形無形の好待遇を受ける。それ以外の国は どうなのか。
 ワシントンでの会合で知り合ったオーストリアのペトラ・シュレーバウアー大使に尋ねると、

「 駐米大使の仕事は 結構 大変。英国ぐらいの大国になれば 別だが、われわれはそうではない。

自国の得意分野を生かして関係をつくっている 」と語った。
 オーストリアは 大国ではないにしても、欧州連合(EU)のメンバーで、永世中立国として複数の

国際機関が拠点を置く。そうした 国際的に知られた国であっても、米国との関係構築は 大使にとって

簡単なことではないようだ。

 

▽冷淡な扱い

 各国の駐米大使に関する米メディアの報道は 少ないが、台湾の大使に当たる 台北駐米経済文化

代表処代表を務めた蕭美琴氏は 例外だった。
 神戸生まれの女性で 英語は堪能。米国人脈は深く、ニューヨーク・タイムズ紙は「 最も影響力の

ある大使の一人 」と評した。何度か 個人的に話したこともあるが、確かに 人当たりがいい。
 中国への配慮から、米国は 台湾に外交儀礼上の制約を課してきたが、蕭氏には ホワイトハウス

への出入りも認めたという。2024年1月の総統選で 与党民主進歩党(民進党)の副総統候補に

決まり、米国を後にした。

   一方、中国の駐米大使から 2022年、外相に転じた秦剛氏は バイデン政権から冷淡な扱いを受けた

と報じられた。貿易戦争を引き起こしたトランプ前大統領ほどではないが、バイデン大統領も 中国

に対する態度は厳しい。秦氏は 昨年6月に動静不明となり、翌7月に解任された。
 日本の山田重夫大使が 昨年12月に着任した。今秋の大統領選とその後の政権との関係構築など

課題は多い。