「最高潮のパニック状態で始まった」 

横尾忠則が明かす、天皇・皇后両陛下との懇談 

            2024年01月13日   デイリー新潮

 「 あのこと 」とは、思いも寄らなかったことですが、天皇、皇后両陛下と ご面談することに

なったのです。僕以外にも 何人かの人が ひとりずつお話をすることになったのですが、そこで

「 困った 」ことには、僕は ひどい難聴で 耳が聴こえないために会話が不十分になってしまうのです。

それで どうしたものかと、文部科学省の係の方に 僕の秘書の徳永が相談を持ちかけてくれたのです。

すると、「 難聴でも、なんとか補聴器を装着してでも 陛下とお言葉を交していただきたいのです 」。

 

   でも 横尾の難聴は 相当ひどく、世界で最高の補聴器でさえ、聴こえないのです。ですから、

陛下のお言葉の前に、自己紹介的な お話を先きにさせていただくということでは如何でしょうか。

「 それは困ります、陛下より先きに お話をされないで下さい。陛下のお言葉のみに お答えいただき

ご質問などもなさらないでいただきたいのです 」。

 

 さあ困った。どうすればいいのでしょう。普段、仕事で話す時は 相手に テレビ局などが利用して

いるワイヤレスピンマイクという器機を持ってもらって、僕は イヤホンを付けて話をするのですが、

まさか、このマイクを 陛下に持っていただくわけにはいきません。「 とにかく、補聴器を もう一度

試して下さい 」と再びお願いされてしまったのです。

 

 ここからが悪戦苦闘。とりあえず 綜合病院に勤める知人の耳鼻科の先生を訪ね、何んとか聴こえる

ようにして下さいと、耳の掃除が始まりました。

「 どうですか、私の声が聴こえますか 」と先生。音声は聴こえますが、言葉の意味までつかむには

もうひとつです。「 では 今日から終日、人と会わなくても 耳を慣らすために補聴器は装着して、

テレビの音声で練習して下さい。でないと、脳が 聴く能力を放逐してしまいます 」と言われて

テレビの前で聴く練習を始めたのです。

   でも、やはり 補聴器を通した音は 機械を通した音声に変質されているので、あまり役に立たない

ことがわかりました。

 

 次の日は、知り合いの おそば屋に行って、補聴器をつけて 客の話す声を聴く練習を始めましたが、

雑音にしか聴こえません。と そこに俳優の小澤征悦さん夫妻がやってきました。僕は 今 ヒヤリング

の練習をしているので 何んでも話し掛けてくれない? というと 小澤さんは「 今から ボイストレーニング

に行くんですよ 」。 

   じゃあ 丁度いい、僕を 相手にトレーニングしてくれないかね。と思ったのですが 彼の声は太くて

大きいので、補聴器なしでも聴こえそうだけれど、陛下とは 声質が違うので、あまり役に立たない

かも知れない。

 そこで 他の人とトレーニングを と思って翌日、近所に住む 元編集者にアトリエに来てもらった

のです。すると そこへ、ヒヤリングの練習をしていることなど知らない 冒頭のTさんがやって

きました。2人共 何んでもいい、陛下になったつもりで ゆっくり、やわらかい優しい声で話して

くれないか、と言いました。

   しかし 相手の声が悪いのか僕の耳が悪いのか、どっちにしても、2人は ワーワー騒ぐだけで、

まるで ヒヤリングのトレーニングにはなりません。

 

 そして 耳の問題が解決しないまま 当日がやってきてしまったのです。皇居に行く前に ホテルオークラ

で 一緒に陛下にお会いする初対面の北大路欣也さんから ご挨拶されて、再び緊張してしまった。

そして、時間は どんどん迫ってくる。どうしていいか焦るばかり。横で 妻が話すが、何をいっている

のかチンプンカンプン。文部科学大臣主催の午餐会に出席して 色んな人から声を掛けられるが 話の

内容が全く聴き取れない。

 そうこうしているうちに 皇居に向かうバスに乗ることになって、僕は 最高潮のパニック状態に

襲われ始めたのです。

 そして 皇居で いよいよ天皇、皇后両陛下を目の前にしながらの懇談が始まりました。

これまで味わったことのないほどの緊張です。陛下より先きに話さないように という注意事項も

すっかり忘れてしまって、陛下より先きに 難聴になった状況の話を始めてしまいました。

シマッタと思って 両陛下のお顔を拝見したところ、お二人共、大変 慈愛に満ちた優しい表情で、

静かに微笑(えみ)を浮かべられながら 僕の何を言っているのか自覚できない ひとり語りに耳を

傾むけて聴いて下さっていたのです。そのことに気づいて ホッと胸をなで下しました。

 次の瞬間 この数日間の緊張が一瞬にしてほぐれて 実に平安な気持ちになっていくのがわかりました。

 

 そして 僕の話のあとに陛下が、僕にも聴こえる優しいお声で話し掛けられたのは、NHKの

大河ドラマ、「いだてん」の僕の描いたタイトルロゴについてでした。僕の本業である画家として

の仕事でなく、今は ほとんどしていないグラフィックの仕事にも目を掛けて下さっていたことに

感動してしまい、思わず、「 テレビは よくご覧になるのですか 」と禁じられていた質問を発して

しまったのです。

 

 こうして 長い一日が終わりましたが、皇居を後にして見る東京の夜景は、まるで異次元の光景の

ように至福に満ちていました。

 

 

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。