国際銀行財閥・金融軍事権力
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    BIS,IMF,世界銀行、WHOなど
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   米国政府、FRB   欧州議会、欧州中銀
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  日本政府、日本銀行




天野統康氏(あまの もとやす)講演
/世界を騙し続けた「詐欺」経済学と「洗脳」政治学
2016/06/10   (約3時間30分)




国際決済銀行 (BIS)
: 1930年設立。中央銀行相互の決済をする組織。通貨価値と金融 システム の安定を目的として中央銀行
の政策と国際協力を支援している。通常業務として 各国中銀の外貨準備を運用する機関投資家でもある。
 2017年4月、同行の グローバル 金融システム委員会は「レポ市場の機能」という報告書を公表、各中銀の
量的金融緩和政策が世界各国の市場から手堅い債券を買い占めたせいで、一般機関投資家のレポ市場が
担保の供給を受けられず機能不全に陥っているという見解を示した。

 ドイツの第一次世界大戦にかかる賠償金支払いの行詰りを打開するためにヤング案(1930)が提案された。
ヤング案では「国際決済銀行に関する条約」と「国際決済銀行定款」が採択され、これら 所謂、ハーグ条約
により賠償金の支払いを円滑化させるための機関としてBIS が設立された。
 日本は、ウォール街大暴落 (1929)のさなかでクレジットを設定、1930年のBIS創設時には株主となっていた。
世界恐慌をきっかけとするナチ党の権力掌握が、ドイツをして賠償金支払いを拒否させた。
BIS は賠償金の取扱機関として活動できなくなり、代りに中央銀行間の協力を推進するようになった。

 BIS は資産運用を行っている。1932年3月の報告では、合衆国市場への積極的な投資により銀行引受手形
への運用が増えた。協力の実態として、創設時点のBIS は金預金を受け入れていなかったが、1932年11月
に受け入れる方針を明らかにした。
・ BIS は各中央銀行の勘定にて、地金・鋳貨その他の形で金塊を預金として受け入れる。
・ BIS には金庫がないので、預金する中央銀行(A)は、自行以外の中央銀行(B)における
BIS の勘定に金をおく。
・ 実際に金塊を預かる中央銀行(B)は、この金をBIS 名義の使途指図金として預かる。
・ BIS は、自身の勘定にて中央銀行(A)の「保証勘定」を開く。
・ 上記の「保証勘定」口座は、BIS 定款第10条の保護を受ける。
・ 中央銀行(A)は、預金を使途指図先の中央銀行(B)に売却・現送したり、外国為替に変えたり、
他の機関に売却・現送できる。
・ 外国為替への換金の場合、中央銀行(A)が要求する為替が(B)国の為替であるとき、
BIS はただちに自己名義で換金を執行する。(B)国以外の為替であるとき、BIS は預金金利
よりも高い金利でその金を貸し出して、その為替を得る。

 第二次世界大戦の拡大により BIS は 金塊を ニューヨーク へ現送するなどして資産を アメリカへ避難させていた。
その資産を 米財務省が「敵性資産」として差し押さえ、1940年6月25日 ニューヨーク連邦準備銀行が発した
暗号電報により 凍結は BIS の知るところとなった。ここで BIS 定款第10条は対抗できなかった。
米政府は 先のハーグ条約に調印していなかった。BIS 株の引受も連邦準備制度ではなく、JPモルガンなど
の民間銀行団が行っていた。
 こうしたイレギュラーが起こる直接のきっかけは、 ヘンリー・スティムソン が1929年にFRB 職員にBIS メンバーと
なることを声明で禁じたことであった。
戦後、役員にナチス関係者のいたことが分かり、ブレトンウッズ会議から解散を勧告されて、ケインズが存続
を主張したにもかかわらず廃止が決定した。しかしフランスとスウェーデンが存置を働きかけたことと
(欧州決済同盟を参照)、次に述べる略奪金問題の決着により、廃止案は1948年に立ち消えとなった。
 ライヒスバンクよりBIS に供託された略奪金3.74トンは、「某中央銀行」が先行して BIS に返還して
いた額を控除の上、3.366 トン が イングランド銀行へ預託された。連合国、とりわけ アメリカが BIS に
被害国へ金塊の返還を求めた。BIS は 次のように応答した。
「 金の大部分は アメリカに現送してあるので、返還に応ずるためには、BIS に対する敵性資産としての
凍結を解除してもらわなければならない 」
1947年10月に米政府代表の アンドリュー・オーヴァビー が、在米スイス銀行資産の凍結解除を調整しに スイスへ
やってくると BIS は機会に捉えた。BIS の当時に発行済み株式におき敵性資産にあたる 日独のシェアは
22.8%であった。ここへ預け入れ最低限度預金を加えると33.8%に達した。
また、ヤング案によるBIS の対独資産は2億9116万スイス金フランであり、1945年度のBIS 総資産額
の64.5%にのぼった。1948年2月、ジョン・スナイダーが上院外交委員長に向けて、欧州側の民間資本も
凍結解除して復興に振り向けさせるべきと書き送っている。
BIS が復活するとマーシャル・プランがドイツの支払い能力を徐々に立て直した。
 1950年10月と11月 イングランド銀行が日本保有のBIS 株式没収を提案した。結果として 日本は
1951年のサンフランシスコ講和条約によって株式を放棄した。その後、国際金融界への 復帰を粘り強く
働きかけた関係者の努力の結果、1964年以降、BISで開催される中央銀行の会合への定期的な参加が
認められるようになり、1970年には増資にともない 日本銀行が株主として復帰した。なお、この年には
カナダも加盟している。増資目的はグローバル金融システム委員会の設置と支払決済事業の開発である。

 1961年11月に金プールを運営しはじめた。BIS は1932年11月以来 ロンドンやベルンといった
ヨーロッパの金市場を管理していた。これを ベース として1961年ヤコブソンの構想どおり、ポンド・スターリング
を中心とする決済機構ができたのである。運営の実態は、一時に金の二重価格制がしかれた事実に見える
とおり、ブレトンウッズ体制とは一定の距離を置いていた。ポンド危機では大恐慌のときのように、
中央銀行は BIS への預金を引き出して金塊に換えて、BIS 名義の使途指図金として別の機関へ預託した。

 BISは、世界各国の中央銀行が出資する法人であり、2011年現在58か国の中央銀行が株主。
最高意思決定機関は 株主中央銀行の代表が出席する総会(General Meeting)で、組織規定の改正、決算
の承認などの権限を有する。年1回、6月末~7月初に開催されているが、臨時総会の開催も可。
 BISの組織としての運営方針の決定などは理事会が行っている。理事会は、2011年現在議長と19名の
理事で構成され、少なくとも年6回開催される。2011年時点で理事会の議長はフランス中央銀行総裁
クリスチャン・ノワイエ、副議長は日本銀行総裁白川方明であった。2015年11月から、議長は
ドイツ連邦銀行のイェンス・ヴァイトマン、副議長はインド準備銀行のラグラム・ラジャンが務めている。
ヤング案から生まれたBIS だけあって、初代と二代目の議長は合衆国から出ている。

 BISは 次のような活動を通じ、その目的を遂行している。
・ 各国の中央銀行相互の議論を促進し、協働関係を推進すること。
・ 金融システムの安定に責任を有する中央銀行以外の組織と中央銀行との対話を支援すること。
・ 中央銀行およびその他の金融監督当局が直面している政策的な課題について調査研究を進めること。
・ 中央銀行に代わって金融市場取引を行うこと。
・ 国際的な金融オペレーションに際し代理者または受託者となること。
BISは 各国の中央銀行を株主とする銀行として組織されている。中央銀行などの代表が会合を開催する
舞台となるほか、金融に関するさまざまな国際的な委員会に対し事務局機能を提供していることでも
知られている。
 各国の中央銀行が相互に協力する場としてのBISの役割を如実に示しているのが、中央銀行の総裁が参加
する隔月の諸会合。2011年11月以降、主要会合の議長はイングランド銀行総裁マービン・キングが務めている。



◆ 国際銀行権力が普及させた主流経済学のペテンを暴露した、ヴェルナー理論を学ぶ 
天野統康氏 2015年2月28日  (約1時間30分)


                       (約1時間2分)