Movie Iwj 2018.7.21
問題だらけの治水事業!西日本豪雨被害は天災ではなく人災!?
大都市圏を豪雨が襲うリスクに迫る!
岩上安身、拓殖大・関良基教授+ジャーナリスト・まさのあつこ氏インタビュー




週刊ダイヤモンド
◆ 西日本豪雨の隠れた人災
「ダム放流で大洪水襲来」の危険すぎる現場
     2018.10.9   粟野仁雄:ジャーナリスト
https://diamond.jp/articles/-/181534

 灌漑、発電、洪水調整……様々な名目で造られたダムは大切な観光資源でもある。
しかし、高位置に膨大な量の水を貯めておくことは、基本的に大きなリスクが伴う。

 今年7月、ラオスで建設中のダムが決壊し、死者・行方不明者が百数十名出た。
数千人が家を失い、避難生活を送っている。米国では1889年に ペンシルバニア州
のダムが決壊し2209人が死亡する大惨事があった。フランスでは 1952年に
ダム決壊で421人が死亡している。日本では戦前の1940年、北海道の幌内ダム
が決壊し60人が死亡するなど多くの事故があった。
 最近でも、東日本大震災では福島県の藤沼ダムが決壊し、膨大な水が流出、
8人が死亡している。2年前の熊本地震でも西原村の大切畑ダムが損傷し、住民
が肝を冷やしていた。

ダムを決壊から守る「放流」が
二次被害をもたらす被災地の皮肉

 豪雨の際、「ダムを決壊から守るために放流する」とよく聞く。この「ダムが決壊
する」とは、どういうことを指すのか。満杯になれば重量に耐えられずに、ひびが
入ったり割れたりして自壊するのだろうか。それでは危なくて仕方がない。

 7月7日の西日本豪雨で大被害のあった愛媛県大洲市の丸山幸宏危機管理課長は、
「越水し、ダム自体が沈んでしまえば操作もできなくなるし、ダムを支えている土中の
構造物も崩れてしまう可能性がある」と説明してくれた。
 国土交通省四国地方整備局の山鳥坂ダム工事事務所の柴田治信課長は、「僕らも
うっかり決壊するという言葉を使ってしまうのですが、重さに耐えられずに割れたり
するわけではありません。溢れてしまうことです」と話す。
ラオスの事故では 建設した韓国企業が「決壊はしていない。溢れただけだ」と必死に
弁明している。この事故で韓国プロジェクトの海外受注は激減したと言われる。

 いずれにせよ、豪雨時のダムの放流は「ダムの決壊を防ぐため」というのが名目だ。
実は、先の西日本豪雨で、その放流により犠牲者が出たことをご存じだろうか。
愛媛県では肱川の2つのダムの放流で、合計9人が放流直後に水死しているのだ。

西日本豪雨時の放流で9人が死亡
怒号が飛び交った住民説明会

 8月9日夜。愛媛県での西日本豪雨取材のさなか、西予市野村町の野村中学校の
体育館で住民説明会があった。同市にある肱川の野村ダム流域では5人が亡くなり、
家屋倒壊などの被害を受けた。
被害は ダム放流の直後。「人災だ」との声が強まっていた。体育館は約700人で満席。
冒頭、管家一夫市長の挨拶に続く黙祷の最中から、「人殺し」「謝れ」「パフォーマンスか」
などの怒号が飛んだ。 
 説明者側は 国土交通省、愛媛県、西予市。 資料を配り、「規則通り操作した」
「予想外の雨で……」と繰り返した
国交省の川西浩二・野村ダム管理所長は「記録的
豪雨を予測できず、事前放流量を増やせなかった」などと釈明
したが、「人命よりダムが
大事なのか
」などの声に遮られる。
質疑では年配男性が「国民の生命財産を守るという憲法にあなた方は違反したのです
と指摘した。「人災なんだから100%補償すべきだ」と訴える女性には拍手が沸いた。
 終了近くに立ち上がった入江須美さん(51)は、「危険を知らせてくれれば 夫は死なずに
済みました
」と訴えた。自宅で印刷業を営む夫義彦さん(59)は、流された愛車の
スポーツカーから遺体が発見された。 夫の遺影を抱いた須美さんは記者に囲まれ、
小さなダムなので早めに減らすべきだったのに。伝え方はどうだったのか。通常の
6倍も流すと聞いていれば夫は早く逃げたはず。また説明会を開いてほしい
」と訴えた。
 野村ダムの建設時に町長だった池田忠幸氏(91)は、「マニュアル通りの操作しか
できないことが情けない
。耕作面積も人口も減っているのに、灌漑のために満杯にして
おく必要はなかった
」と運用のまずさを指摘した。その昔、反対運動の中を苦労して
建設にこぎつけたダムそのものが否定されることが、悔しくてならない様子だ。

 ダムの放流は午前6時20分だが、国が大量放流を市に知らせたのは6時8分。市は
避難指示を5時20分に出していたが、市民は「いつものような放送で切迫感はなかった」
と口を揃える。危険通知の遅れに管家一夫市長は、「混乱状況で早く知らせられなかった。
お詫び申し上げる」と謝罪した。
 下流の鹿野川ダムの放流で4人の犠牲者を出した大洲市でも、9月18日、住民説明会
が行われた。このダムのすぐ近くに旧肱川町役場、現在は市の支所がある。近くに住む
向井富重さん(67)が語る。「あっという間に水が上がり2人で逃げるのが精一杯。
1階の天井近くまで水が来た。家の中は滅茶苦茶でした。後になって大工さんが、
飼っていた5歳の猫のホコちゃんが死んでいたのを見つけたんです。苦しんだのか目を
剥いていました。妻と泣きはらしました」

猫さえ逃げ遅れた大洪水の恐怖
緊急放流の責任は誰にあるのか?

 普通の浸水なら、猫であれば2階に逃げそうなもの。押し寄せた水は逃げる間もない
速さだったのだろう。明らかにダム放流による被害だ。向井さんは「いつもダムを満杯
にしていた。大雨になるのに 早めに減らしてなかったのが間違い」と指摘した。

 今回の豪雨で大きな被害を出した岡山県では、1963年、水島コンビナートへの利水や
発電目的で高梁川上流に新成羽川ダムを竣工した。
国は「洪水対策にもなる」と
建設反対派を抑え込んだ、しかし 後に、豪雨の緊急放流で被害が出て住民が訴訟を
起こした。
裁判例は 徳島県などでもある。

 村を沈めてまで 全国に建設されたダムは、本当に安全なのか。筆者はこの春、岡山県
の湯原温泉を楽しんだ。岡山市の名勝・後楽園の横も流れる旭川の上流に位置する。
昔ながらの風情の温泉街だが、すぐ上には ダムがあった。複雑な形の人造湖の水は、
豊富で観光にも適している。しかし、もし あのダムが決壊したらどうなるのか。
それこそ 温泉街は全滅し、多くの死者が出るだろう。

 今回の西日本豪雨では、広島県呉市でも、上流の野呂川ダムの決壊を恐れて「流入量
以上の放流をしない」との規則に反して 通常の3.6倍の大量放流が行われたため、下流
の平福で甚大な浸水被害が起きた
とされ、県が調査をしている。

     ※ 岡山県は、ダム放流による被害の経緯、責任の所在、今後のあり方などについて、
     腰の入った調査・検討をしているのだろうか?!


 鹿野川ダム近く、肱川の支流の河辺川で計画された山鳥坂ダムは、民主党が政権を
取って一時ストップした建設工事が、自公政権で再開されている。前述の柴田さんは
「新しいダムが早くできていれば、大洲市内の被害は軽減できた」と話す。

 2001年、長野県の田中康夫知事が「脱ダム宣言」をして議論となった。民主党政権では
群馬県の八ッ場ダム建設にストップがかかった。西日本豪雨をきっかけにダム否定論も
散見するが、「ダムがなければもっと被害は大きかった」という専門家も多く、議論は
分かれている。
 もっとも、ダムだけが怖いのではない。磯田道史氏の『天災から日本史を読み直す』
によれば、1854年の伊賀上野地震では奈良県の古市村(現奈良市古市町)で、段々畑
のように高位置に築造されていたため池が決壊し、家々が押し流されて67人が死亡する
悲劇が起きている。磯田氏は「甲賀忍者の古文書調査で地震時のため池決壊の恐ろしさ
を知った」と著している。
 2004年の中越地震では、新潟県山古志村で名産の錦鯉の養殖池が崩壊し、大きな
被害をもたらした。古くは1868年(明治元年)に愛知県の農業用の入鹿池が決壊し、
941人が死亡した。1953年には京都府の農業用の旧大正池が決壊し、山津波で多数
の死者を出した。

 ダム建設の反対においては 環境問題が取り沙汰されることが多いが、今回、震度7の
地震で惨事となった北海道の厚真町では、農業用の厚真ダムの放水路が土砂で埋まり、
雨で「決壊する可能性」が出て警戒に当たったが無事だった。 振り返って、高位置に
大量の水を貯めておくことの危険を改めて再認識すべきだろう。

  
 ダムの決壊・水の放流
   ↘ 原子炉の爆発・放射能の放出


   👇 6年前の山本太郎です

 山本太郎号泣!涙で訴える祖母「子供だけでもお願いします」(digest)
      パルテノン多摩  2013.7.16  (約14分)
 
  ※ 2013年7月21日 第23回参議院議員通常選挙
   東京都選挙区から無所属で出馬、666,684票を獲得し4位で初当選。
   選挙に際しては、生活の党、社会民主党、緑の党、新社会党の各党の支援を受けた。


   
      https://www.youtube.com/watch?v=V7u01C6ANgg