モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

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プロローグ

 

 

写真は、1986年の私。

『流行通信』編集部のデスクで。

 

ファッションに関わるものにとって、

パリは特別な意味のある街なのですね、

やっぱり。

 

初めてのパリ出張を終えた私は

すっかり自信をつけて

大きな変化を遂げたようです。

 

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初めてのパリ①/刈り上げと太眉

 


もう、かつてのどこか不安げな

ヒラクではありません。

 

お化粧もばっちりして、

ちょっと、ずる賢そうにさえ見える顔は、

フェリーニの映画の登場人物か

若いころのジャック・ニコルソン

みたいですね。

 

白のノースリーブニットと

黒の音符柄のミニスカートは

パリ在住のデザイナー、

入江末男さんがデザインを手がけていた

「STUDIO V」のもの。

 

この「STUDIO V」 も

『流行通信』と同じく、

ハナエモリの系列会社で、

お洋服のブランドと

ヘアーサロンが同じ名前で

展開されていました。

 

ハナエモリ・グループの中に

おしゃれなものはひと通り

揃っていたわけです。

 

ところで、話は少しさかのぼります。

 

じつは1983年の10月に、

流行通信社の本社ビルが

新宿区市ヶ谷にできて、

編集部を始め、表参道にあった部署は

すべて、引越しをしていました。

 

なぜ、ファッションの聖地、

表参道からは、かなり離れた

市ヶ谷だったのか?

という疑問はさておき。

 

この新社屋の建築を手がけたのが、

かの安藤忠雄氏だったのです。

 

このころ関西圏ではすでに、

活躍されていた安藤氏ですが、

東京での初めての建築が

この「流行通信本社ビル」でした。

 

もちろん、打ちっ放しのコンクリートです。

↓こちらが外観ですね。

 

http://uratti.web.fc2.com/architecture/ando/ryuko.htm

 

 

↓さらに、この階段を降りた半地下が

通路になっていて、

http://uratti.web.fc2.com/architecture/ando/ryuko.htm

 

↓つきあたりがエレベーター。

 

http://uratti.web.fc2.com/architecture/ando/ryuko.htm

 

左手前に見えるドアは

「ブラッセリー マ・ポム」という

というカジュアルなフレンチ料理のお店。

 

場所が表通りから1本入ったところ

だったこともあり、

いつもあまりお客さんがいなくて。

ほとんど、社員食堂化してましたね。

 

2階、3階はスタジオがありました。

その名も「ザ・スタジオ」。

通称「ザスタ」。

 

編集部は5階にあったので、

服を集めたら、

そのまま「ザスタ」で撮影ができて

とても便利でした。

 

近くの新宿区曙町に

まだフジテレビがあったころは、

芸能人の方の撮影も

けっこう入っていたようです。

 

私は、エレベーターのドアが開いたら、

目の前に明石家さんまさんが

立っていたことがありました。

 

なぜ過去形で書いているか、

と言いますと、

この建物は残念ながら2008年に

取り壊されて、

今はもう存在しないからです。

 

そして、トップの私の写っている写真が

このビルの中を撮ったもの。

 

私の生足もさることながら、

奥に見えるコンクリートの壁が重要。

安藤建築の貴重な記録です!!

 

コンクリート打ちっ放し建築なんて、

もちろん、みんな初体験ですから、

やれ、体が冷えるんじゃないかとか、

壁から粉が出て肺に悪いとか、

おっかなびっくりでしたけど、

心配していたほどのことはなく。

 

ただ、給湯室のドアがやたらに重くて

お盆に載せたコーヒーを運ぶときに

体当たりで開けてましたっけ。

 

今となっては懐かしい思い出です。

 

私の80年代の写真を追っていくと、

時代の流れが見えますね。

 

当時の貴重な記録が

こんなに手元に残っていたことに、

今さらながらびっくりしています。