『流行通信』①/それは挫折から始まった から続く

 

『流行通信』は1966年創刊。

デザイナー森英恵のPR誌として

スタートしました。

 

他の雑誌と違っていたのは、

日本を代表するアートディレクター(AD)を

積極的に起用していた点です。

 

中でもアーティストの横尾忠則氏が

1年間ADを務めた1980年は

斬新なグラフィックデザインが

毎号にわたって繰り出され、

日本のデザイン界では今なお伝説として

語り継がれています。

 

パリコレでは、イッセイミヤケ、

コム・デ・ギャルソン、

ヨウジヤマモトが注目を集め、

東京発のデザイナーが

世界を牽引し始めていた時代。

 

『流行通信』は時代の

アートやカルチャーを反映した

東京発の先鋭的なファッション誌として、

世界的にも高い評価を得ていました。

 

私がそんな世界に足を踏み入れたのは

1983年のことです。

 

 

写真は、私が入社する直前の号。

1982年12月号の巻頭特集、

「何故か、ファッション昆虫記」の

シュールな1シーン。

ワイヤーのさなぎの中に転がる

ポップないでたちのモデルは、

これから蝶々になろうとする

幼虫でしょうか。

 

 

凝ったセットは

このカットのためだけに作られたもの。

当時のポストモダンの流行が

反映されています。

 

しかも、当時はデジタル合成の技術など

なかった時代。

 

この1カットを撮るのに、

どれだけの時間と

お金と労力が費やされたことか。

想像しただけで、オソロシイ…。

 

日本クリエイティブ界の

第一線にいる大人たちが

本気で取り組んだ作品を発表する、

ショーケースのような

役割を果たしていたのが

『流行通信』という雑誌でした。

 

 

PHOTO/小暮徹

 

『流行通信』③/ハヤシさんとイノセさん に続く