ペンネーム:京田辺の京検1級のアラ古稀一休
大河ドラマ「西郷どん」にちなみ、京都における西郷隆盛ゆかりの地を訪ねました
最初に「京の冬の旅」特別公開中の東福寺塔頭「即宗院」を訪れましたここは10年ほど前にも来ましたが、その後は紅葉の季節などにはタイミングが合わず、非公開のために見学できませんでした
このお寺は薩摩藩の畿内菩提所とされてきましたその関係もあって明治維新の際、西郷さんは清水寺の勤皇僧である月照上人とこの場所で幕府転覆の策を謀ったと云われています
前回来たときは、庭園も回遊した記憶がありましたが、今回は立ち入りが禁止されていました入口の門を抜けると、石畳の道に導かれて建物内への案内があり、西郷さんの書や島津藩の家紋が記された火鉢やお膳などの生活備品が展示されていましたまた室内ではガイドさんによる丁寧な説明がありました。このお寺があまり知られていないのか、参観者は疎らでした。
尊王攘夷運動の弾圧を行っていた井伊直弼の打倒について、即宗院の採薪亭で話し合われていたようですこの後、危機が迫ったので、月照とともに伏見に脱出したそうです
左の石の階段を登って、鳥羽伏見の戦いで薩摩軍が洛中に向かって砲撃を加えたと伝わる裏山の山頂へ向かいました今は木に覆われていますが、洛中が見渡せる場所だったようです西郷さんは明治になってから、明治維新までの戦いで戦死した薩摩藩の524霊を供養するため斎戒沐浴をして揮毫を行い、自筆した「東征戦亡の碑」を建立されたそうです
薩摩藩士「東征戦亡の碑」(左)。
部分拡大で西郷さんの名前が確認できます。(右)
西郷さんの情の深さに改めて感心させられました約150年後も多くの人に人柄と功績が慕われている理由の一端が覗えました
次に、同じく西郷さんと月照上人が密議をしていた、歌の中山「清閑寺」を訪れました
清閑寺ヘは、清水寺の子安の塔から歩いて約5分で行くことができますただ、清水寺と違って人気が少ない道なので、女性の一人歩きは避けるようにという看板もありました
写真左の山道を行きます。清閑寺山号の歌の中山とはこの辺りの地名のようです
写真奥が「郭公亭」跡です幕末に西郷隆盛と月照が謀議を行った史跡を示す石碑です現在の清閑寺にはその跡が残っているだけとなっています
清閑寺には、要石(かなめいし)があり、ここから京都市内が扇のように見えます
また、清閑寺には高倉天皇に仕えた小督の局の供養塔や小督桜もあります小督は「平家物語」で書かれたように、ここで平清盛に尼にさせられたところだそうです
また清閑寺は江戸時代の京都の名所案内記「都名所図会」にも載っていたようです訪れる人も少なく静かで、清水寺の喧騒と正反対の落ち着ける歴史あるお寺でした
時々、西洋系の外国人が訪れていましたが、予想に反して日本人は少ないようでした