ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休
初詣に京都十六社朱印めぐりのうち、六孫王神社と粟田神社に行ってきました
京都十六社朱印めぐりは、元旦から2月15日までに十六社すべての神社を年頭にお詣りして各神社より朱印を授かることで一年間あらゆるご利益が得られるというものです
十六社は、熊野 若王子神社 · 熊野神社 · 新熊野神社 · 御霊神社 · 藤森神社 · 栗田神社 · 市比賣神社 · 岡崎神社 · 長岡天満宮 · 御香宮 · わら天神宮 · 六孫王神社 · 吉祥院天満宮 · 西院 春日神社 · 今宮神社 · 豊国神社のことです
小生は年齢、体力を考慮して毎年少しずつお詣りしています。今年2社をお詣りしたことで残りはあと3社を残すことになりました
六孫王神社
源氏の祖である源経基は、清和天皇の六男を父として生まれ、皇室では六男の六と天皇の孫ということで六孫王と呼ばれていましたまた王の長子満仲公が遺骸を当地に埋葬し、その前に社殿を築いたのが、六孫王神社の始まりだそうです
このため、当神社は清和源氏発祥の宮と呼ばれています
六孫王神社は、南区壬生通八条角にあり、もとは平清盛の西八条殿近く(現在の梅小路公園)まであったものが東海道新幹線の工事で現在のように狭くなったそうです
ご利益は、出世開運、家運隆昌、良縁祈願と言われています
境内
経基公の和歌(拾遺和歌集)
六孫王神社本殿
神社は訪れる人もそれほど多くなく、参拝しやすい場所で、静かな雰囲気であり、いかにもご利益がありそうであった
粟田神社
平安時代の貞観18(876)年に出羽守藤原興世が、勅命により社を建てて御神霊をお祀りされましたのが当社の始まりとされ、祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)ほかとされています
神社前は昔の東山道で、京都の東の出入り口である粟田口に鎮座し、街道を行き交う人々の信仰を集め、旅立ち守護(旅行安全)、厄除の神様として知られています
また、かの義経も奥州へ下向の折、旅立ちの安全祈願に立ち寄ったと言われています。
神社は三条通岡崎道下がるにあり、参拝客が絶えなく、境内に摂社も多くありました
神社入り口
本殿
拝殿には名刀匠 三条小鍛冶宗近のゆかりと思われる刀剣が祀られていました
義経が奥州下向の時に祈願したと伝わる摂社の出世恵比寿神社
粟田口の刀工、三条小鍛冶宗近、粟田口藤四郎吉光 等を祀る末社の鍛冶神社
粟田祭で行われる風流行列「粟田大燈呂」は、青森県のねぶたのルーツだとのことでした
粟田神社も歴史が深く、いかにもご利益がありそうな神社でした。
これらの十六社は、いずれも多くの観光客が押し掛ける神社ではなく、静かな雰囲気でのんびりと京都の神社巡りができるところです来年に残りの3社を巡りたいと思います