山科のNanibah(なにば)です
8月11日に上階から町が一望できる八坂の塔と祇園閣に上りました
観光客が多い地域ですが、八坂の塔に上る人はあまりいません写真としての美しさを重視するためか、坂の下から塔の写真を撮る人が多いようです
八坂の塔と呼ばれていますが、実は臨済宗建仁寺派の法観寺というお寺なのです。高さは46メートル。重要文化財に指定されています。聖徳太子が創建し、中に仏舎利を収めたという言い伝えがあります
何度か焼失、再建を繰り返し、1440年に将軍足利義教に再建されたものが現在の塔です
浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の法力により傾きかけた塔がもとに戻ったという伝説も残っています浄蔵さんと言えば、祇園祭の「山伏山」ご御神体にもなっています
一条戻り橋で葬儀の列に出合い、亡くなった父三善清行(みよしきよゆき)を一時蘇生させたという話も有名ですね
12世紀の焼失の原因として、清水寺衆徒と祇園神人(ぎおんじにん)の紛争がありますが、背景には興福寺と延暦寺の抗争激化があり、それが興福寺末寺の清水寺と延暦寺末社の祇園社の争いを生んだとのことです
塔の中には金剛界の五智如来、大日、釈迦、阿弥陀、宝生、阿閦(あしゅく)が安置されています
階段は狭く勾配が急なので、上るにはちょっとした勇気が必要ですもともと仏を祀るための塔で、展望台として建てられたものではありませんから、景色を見るために上るというのは邪道なのでしょう。しかしながら、上から見る景色はなかなかのものです。祇園閣も見えました
法観寺の境内には、家臣によって手厚く葬られたという木曽義仲の首塚もあります
八坂の塔の近くに、くくり猿で有名な八坂庚申堂があるので、ちょっと覗いてみました
浴衣を来た参拝者が大勢いました
くくり猿も色とりどり、浴衣もカラフルで、全体が現代ポップアートの展示場のようにも見えます
八坂庚申堂は大黒山金剛寺という由緒のある天台宗のお寺ですそして、開基は傾いた八坂の塔を加持で元に戻したという浄蔵貴所なのです。浄蔵さんの名前はあちらこちらで聞きますね
くくり猿には欲望のままに動く猿を抑え込むという意味があり、人間が自分の欲望を制御するように諭していますそのくくり猿には願い事が書かれています
自分の欲望をひとつ押さえて、願い事をすれば願いがかなうということのようです
庚申日は一年に6回あり、その日は猿の形をした厄除けのコンニャクがふるまわれ、北を向いて無言で食べると無病息災のご利益があるそうです
次に、今年の京の夏の旅で公開されている祇園閣に向かいました
祇園閣は大雲院の中に祇園祭の山鉾をモデルにして建てられた建造物です昭和3年の御大典記念として、元大倉財閥の大倉喜八郎が建築家の伊東忠太に設計させたもので、金閣、銀閣と並ぶ銅閣にしたいという思いもあったようです
祇園閣は登録有形文化財に指定されています。
大倉喜八郎は幼名が鶴吉、雅号が鶴彦でした。屋根の鉾の先で鶴が羽ばたいています
内部の壁画は昭和63年に完成した敦煌の壁画の模写で、神秘的な雰囲気が漂っていますまた、魔物が白い球を抱えるというデザインの照明もあり、一体今どこにいるのだろうという不思議な感覚に陥ります
コンクリート造りの階段は上りやすく、八坂の塔のような冷や冷や感はありません残念ながら、祇園閣は内部だけでなく閣上からの眺望の撮影も禁止で写真は撮れませんでしたが、すばらしい眺めでした
余談ですが、喜八郎は自分が収集した美術品を収蔵するために日本初の私立美術館「大倉集古館」(東京都港区虎ノ門)を建てました国宝や重要文化財も多数あるとのことです。この大倉集古館も伊東忠太の設計で、歴史的建造物として登録有形文化財に指定されています
現在は改修のため閉館していて、2019年にリニューアルオープンするそうです
さて、大雲院というのは織田信忠の法名です。正親町天皇(おおぎまちてんんおう)の勅命で、織田信長・信忠親子の菩提を弔うために作られたお寺で、開山は信長とゆかりの深かった浄土宗の貞安上人(ていあんしょうにん)だそうですということで、もちろん信長と信忠のお墓もありますが、驚いたのは石川五右衛門のお墓があったことです
「泥棒でも有名人だと、こんな立派なお墓が作ってもらえるんだなあ」という参拝者の感嘆の声が耳に入ってきました
桃山時代の鐘楼もなかなか素敵でした
8月の暑い盛りに歩き回り、けっこう疲れてしまいましたが、八坂のランドマークの八坂の塔と独創的なデザインの祇園閣に上って眺望を楽しめたので大満足です